尾津の一松の候補地の一つ、倭建命の子を奉斎、小山連の本拠
尾津神社 三重県桑名市多度町小山1915
[住所]三重県桑名市多度町小山1915
[電話]0594-48-2037 - 多度大社

尾津神社(おづじんじゃ)は、三重県桑名市多度町小山にある神社。『延喜式神名帳』にある「尾津神社二座(伊勢国・桑名郡)」に比定される式内社(小社)の論社。御朱印の有無は不明。

創建年代は不詳。当地は、倭建命が東征の際立ち寄り、松の木の下で食事をし、松の木に太刀(剣)をかけて置き忘れた地。その船出をしたのが、舟着社とも。

さらに、倭建命が伊吹山で瀕死の重傷を負い、敗走した時にやはり当地に寄り、松の木に置き忘れた太刀がそのまま残されていたことを確認した地。

『古事記』にも、倭建命の下記の歌、いわゆる「尾津前なる一つ松」、尾津の一松の歌が掲載されている。
尾張に直に向える 尾津前なる一つ松吾兄を 一つ松人に在りせば 太刀佩けましを衣着せましを 一つ松吾兄を
現在でも日本は、忘れ物や落し物の発見確率が世界の中で極めて高いことで知られるが、倭建命のこの故事は、その走り。

人のものは神のもの、粗末にしてはならない、という世界中では絶対に確認できない独特の思想が、今日の日本のそうした美徳につながっているのかもしれない。

さて、この故事にちなみ、倭建命の子で、『古事記』にも「小津の祖」とある、足鏡別命を祀ったのが当社の起源だという。

『式内社調査報告書』などによれば、当社の近辺は往古多度川が海にそそぐ海浜地帯で、景行天皇紀の「尾津浜」「尾津前」の地名は、この小山の尾津が相当するという。

また、「小山」の地名は、小山連の氏族名からでたもので古い地名だともいう。大正7年(1918年)3月、山神社・佐軍神社・八龍大明神を合祀した。

御祭神は、主祭神が倭建命・足鏡別命の二座。『延喜式神名帳』に合致する。大山津見神や祭神不詳を配祀している。現在は多度大社が兼務している。

境内には木々が植えられており、それそれ名前だけではなく、説明がついている。

なお、当社は尾津の一松故事の候補地の一つだが、他の候補地および式内論社として、戸津の尾津神社御衣野の草薙神社がある。

【ご利益】
厄災除け、旅行・交通安全、一族・子孫繁栄(公式HP
尾津神社 三重県桑名市多度町小山
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