山神社とも、葛野の15軒が今も昔ながらの祭祀、葛野御霊神社とも
山神後神社 神奈川県横浜市泉区中田南5-48
[住所]神奈川県横浜市泉区中田南5-48
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山神後神社(さんしんごじんじゃ)は、神奈川県横浜市泉区中田南にある神社。山神社(やまがみしゃ)とも。御朱印の有無は不明。

葛野小学校南の住宅地の中、戸塚苑という地域の住宅地内に祀られている。今はすっかり住宅に囲まれたが、昔は周りが常緑樹混じりの広葉樹林に囲まれいたという。

その山林は、開発時に処分されたが、もとは当社所有の山林であったという伝承がある。また社前に広がっていた肥沃な水田の中にも、当社所有の水田があったという。

今は鳥居と短い参道、小さな社殿があるばかりだが、山神前や山神後と字名にもなっていることから考えて、当社はこの地域で小さな存在ではなかったとの見解もある。

創建年代は不詳。昔から葛野に住む15軒の人たちによって信仰され、維持管理されている。3月と11月の17日に年番の家で宮日待を行ない、昔からの信仰行事が続けられている。

隣の汲沢町には、中田の御霊神社はもと葛野にあったという伝承があるというが、中田には伝わっておらず、当社にもそれを裏付ける伝承などはない。

いわゆる和泉郷の葛野御霊神社(鎌倉権五郎景政)のこと。これを当社のこととするか、中田御霊神社とするか、諸説ある。

藤沢市宮前の村岡御霊神社の由緒によれば、葛野御霊神社は村岡御霊神社の分社の一つだという。

明治になり、寄宮令(よせみやれい)が発布された時、他の地域の小さな神社や祠が御霊神社に遷されたのに、当社だけは従わなかった。

その理由は伝承されていないが、現在の三橋昭夫氏宅の屋敷稲荷社に御神体を仮安置した。昭和12年(1937年)、もとの社地だった現在地に社殿を建て、遷座再興した。

御祭神は大山祗神とされる。御神体として、鎌倉時代末期の元徳2年(1330年)と刻まれた板碑が安置されてたが、盗難に遭い、現在は所在不明。

【ご利益】
地域安全、家内安全
山神後神社 神奈川県横浜市泉区中田南
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