飛鳥朝の創立、上下からの崇敬、樹齢850年の楠・イチョウ
[住所]神奈川県足柄下郡湯河原町宮下359-1
[電話]465-62-5869

五所神社(ごしょじんじゃ)は、神奈川県足柄下郡湯河原町宮下にある神社。近代社格では郷社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

社伝によれば、飛鳥時代、天智天皇(在位:668年-672年)の御代、加賀の国の住人である二見加賀之助重行らの手により、この地方が開拓された。

その時、吉浜・鍛冶屋・門川・堀ノ内・宮下・宮上という土肥郷の総鎮守として、天照大神天忍穂耳尊瓊瓊杵尊彦火々出見尊鸕鷥草葺不合尊が奉斎された。

土肥一族を始め、藩主、領主、庶民の崇敬が篤く、かつて平安時代の康平3年(1060年)、源義家が奥羽征討に際し社家である荒井刑部実継は神霊の加護により軍功を立てた。

平安時代末期の治承4年(1180年)8月、源頼朝が伊豆で挙兵した時、当地の豪族だった土肥次郎実平は戦勝を祈願し、佩刀を納めた。

江戸時代初期の元和7年(1621年)、代官の守屋佐太夫が社殿を再建した。

江戸時代前期の寛永13年(1636年)、地頭松平美濃守、ついで寛文元年(1661年)、地頭稲葉美濃守が社殿を再建した。

江戸時代中期の元文5年(1740年)、地頭大久保出羽守が社殿を修覆。祭祀の厳修には領主、名主の奉幣行事、氏子一同の鹿島踊りの奉納があったという。

明治6年(1873年)7月、村社に列し、明治45年(1912年)4月12日、湯河原と宮下の無格社熊野神社(素盞鳴尊伊弉諾尊伊弉冊尊)、八幡神社(誉田別尊)を合祀した。

大正4年(1915年)11月、神饌幣帛料供進社に指定され、昭和3年(1928年)には御大典記念事業として、上・中段玉垣を建設、社務所を新築した。

昭和8年(1933年)7月、神輿を新調、昭和15年(1940年)には皇紀二千六百年記念事業として、社殿を後退させて改築、本殿・透塀、川縁大玉垣を新設した。

昭和19年(1944年)7月22日、郷社に昇格した。昭和22年(1947年)、新幹線工事と社前県道拡幅工事のため、境内26坪ほどが縮少された。

ただし、この際、正面参道に大社号標、大灯篭、水舎、国旗掲揚塔などが奉納された。また、境内社である湯河原頌徳社の移転も完成した。

昭和43年(1968年)1月24日、神奈川県神社庁より献幣使の参向する神社に指定された。

例祭は8月1日・2日。神輿渡御があり、2日の昼には花車を伴い町内一巡、その夜には当社神輿が担がれ観光やっさ祭に参加する。

また、4月1日に土肥祭武者行列という観光まつりが行われ、当社より桜木公園まで行列する。12月15日夕方から夜までは歳の市で、だるま市。

産まれた子供の成長と健康を祈るお宮参り、子供の末永い健康と成長をお祝いする七五三などにも力を入れている。

境内には御神木の楠がある。神社正面の鳥居をくぐり階段を登ると右側に聳える樹齢約850年、樹高36メートルの大クスノキで、町の天然記念物に指定されている。

平成29年(2017年)1月24日、楠の木の前に「パワーの窓」が設置された。枠の中で撮影するとパワーが授かれる。湯河原町トリプルパワースポットの一つ、「楠木パワー」。

やはり推定樹齢850年とされる大イチョウもある。町の天然記念物。平成23年(2011年)の台風で一部の枝が折れたため、主幹上部が伐られた。

境内には各所に、大黒天・恵比寿神・毘沙門天・布袋尊・弁財天・福禄寿・寿老人の七福神の石像が安置されている。

なお、当社は産土八幡神社・八幡神社・五郎神社などを兼務してる。

【ご利益】
開運招福、身体壮健、無病息災、家内安全(公式HP
五所神社 神奈川県足柄下郡湯河原町宮下
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五所神社 神奈川県足柄下郡湯河原町宮下の御朱印