戦国期の創立、地名の謎、鹿島踊りや江戸期本殿、大クスノキ
[住所]神奈川県足柄下郡湯河原町鍛冶屋725
[電話]0465-62-5869 - 五所神社
五郎神社(ごろうじんじゃ)は、神奈川県足柄下郡湯河原町鍛冶屋にある神社。鍛冶屋五郎神社、湯河原五郎神社とも。近代社格では村社。現在は五所神社の兼務社である。御朱印の有無は不明。
戦国時代の元亀年間(1570年-1573年)の創立と伝わる。他の由緒は伝わっていない。御祭神は町名にちなんでか金山彦尊。
湯河原御霊神社とも呼ばれ、鎌倉権五郎景政を祀ったともされるが、詳細は不明。明治6年(1873年)7月30日、村社に列した。
明治44年(1911年)9月23日、字森下鎮座の須賀神社(面足尊)を合祀した。昭和9年(1934年)10月16日、神饌弊帛料供進社に指定された。
昭和22年(1947年)、神社制度の変革があったものの、創立以来、今日まで卿民の守護神として、広く住民の崇敬を集めている。
例祭は4月中旬の土・日曜日で、神輿渡御が行われる。鹿島踊りが伝わり、町の無形民俗文化財に指定されている。2月11日には春祭・紀元祭が斎行される。
また、飾り屋台1基が伝わる。当社本殿は、上段奥に立ち、前方の3間に2間の拝殿と接続している。もとは独立し、様式上から17世紀後期のものとみられている。
一間社流造で三方に束で受けた刎高欄付の切目縁を廻し、正面は幣袖付板扉両開き。全体として木太く、妻など派手な所が見られ江戸初期風の意匠をよく表している。
境内には多くの樟の巨木がある。本殿の奥の森には胸高周囲が9.2メートルもある大クスノキがある。
鍛冶屋分、鍛冶屋敷など特徴的な鍛冶屋の地名だが、伝承として、以前は鍛冶職が住んでいたことに由来するとされている。
ただし、江戸時代前期の貞享3年(1686年)、小田原藩に出されたこの村の差出帳にも、鍛冶職やその集団が当地に居住したとの記載はない。
それによれば、名主1軒、組頭2軒、祢宜2軒、本百姓25軒、村筒4軒、桶屋3軒、無田16軒、定使1軒で村は構成されていたという。桶屋3軒は多い。
江戸時代後期の『新編相模国風土記稿』にも、土肥鍛冶屋村とあるが鍛冶職については触れていない。
【ご利益】
産業振興、事業成功、リフレッシュ

【関連記事】
・神奈川県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、神奈川県に鎮座している神社の一覧
[電話]0465-62-5869 - 五所神社
五郎神社(ごろうじんじゃ)は、神奈川県足柄下郡湯河原町鍛冶屋にある神社。鍛冶屋五郎神社、湯河原五郎神社とも。近代社格では村社。現在は五所神社の兼務社である。御朱印の有無は不明。
戦国時代の元亀年間(1570年-1573年)の創立と伝わる。他の由緒は伝わっていない。御祭神は町名にちなんでか金山彦尊。
湯河原御霊神社とも呼ばれ、鎌倉権五郎景政を祀ったともされるが、詳細は不明。明治6年(1873年)7月30日、村社に列した。
明治44年(1911年)9月23日、字森下鎮座の須賀神社(面足尊)を合祀した。昭和9年(1934年)10月16日、神饌弊帛料供進社に指定された。
昭和22年(1947年)、神社制度の変革があったものの、創立以来、今日まで卿民の守護神として、広く住民の崇敬を集めている。
例祭は4月中旬の土・日曜日で、神輿渡御が行われる。鹿島踊りが伝わり、町の無形民俗文化財に指定されている。2月11日には春祭・紀元祭が斎行される。
また、飾り屋台1基が伝わる。当社本殿は、上段奥に立ち、前方の3間に2間の拝殿と接続している。もとは独立し、様式上から17世紀後期のものとみられている。
一間社流造で三方に束で受けた刎高欄付の切目縁を廻し、正面は幣袖付板扉両開き。全体として木太く、妻など派手な所が見られ江戸初期風の意匠をよく表している。
境内には多くの樟の巨木がある。本殿の奥の森には胸高周囲が9.2メートルもある大クスノキがある。
鍛冶屋分、鍛冶屋敷など特徴的な鍛冶屋の地名だが、伝承として、以前は鍛冶職が住んでいたことに由来するとされている。
ただし、江戸時代前期の貞享3年(1686年)、小田原藩に出されたこの村の差出帳にも、鍛冶職やその集団が当地に居住したとの記載はない。
それによれば、名主1軒、組頭2軒、祢宜2軒、本百姓25軒、村筒4軒、桶屋3軒、無田16軒、定使1軒で村は構成されていたという。桶屋3軒は多い。
江戸時代後期の『新編相模国風土記稿』にも、土肥鍛冶屋村とあるが鍛冶職については触れていない。
【ご利益】
産業振興、事業成功、リフレッシュ

【関連記事】
・神奈川県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、神奈川県に鎮座している神社の一覧
コメント