玉縄城の鬼門除けに勧請、江戸初期に遷座、御霊神社を合祀
[住所]神奈川県鎌倉市植木96
[電話]0467-47-4798 - 稲荷神社
諏訪神社(すわじんじゃ)は、神奈川県鎌倉市植木にある神社。植木諏訪神社とも。近隣では「すわじん」と呼ばれる。稲荷神社の兼務社である。御朱印の有無は不明。
龍宝寺門前の道路を北西方向へ、約200メートルくらい進んだところ。青緑色の屋根つき鳥居が目に入る。階段を登ると境内。本殿被屋と舞殿(神楽殿)がある。
戦国時代の永正9年(1512年)、北条早雲が小田原城の支城として玉縄城を築いた際、城内東北隅の諏訪壇に鬼門除の鎮護神として信州諏訪神社を勧請した。
玉縄城は現在の清泉女学院周辺にあたる。城内東北隅の諏訪壇は城内最後部とされ、標高約80メートル。
一説によれば、北条綱成(1515年-1587年)の時代に勧請したとも言われている。綱成一門の墓は現社殿脇の山径を登った山頂にあるという。
創建以来、一族の崇敬が篤かったが、天正17年(1589年)、玉縄城主北条氏勝が豊臣秀吉に敗れ、江戸時代初期の元和5年(1619年)、徳川幕府は城郭を廃棄した。
その際、村民は当社の荒廃を憂い、現在地に奉遷した。この時すでに鎌倉権五郎景政一門の霊を祀った御霊神社があり、当社と合祀された。
現在も当社の扁額には「諏訪・御霊両大神」と記されている。この御霊神社は、玉縄郷(玉縄荘・村岡郷)の鎮守で、玉縄御霊神社と呼ばれた。
『新編相模国風土記稿』にも記載され、玉泉寺が別当だった。植木・岡本・城廻(しろめぐり)の鎮守で、御祭神は神奈川県神社庁によれば建御名方神一座。
境内石碑には、建御名方神の他、勧請時にその姫神である八坂刀売命(八坂刀売神)の御神霊も移したとある。また、当然鎌倉景政やその一門も祀られているはず。例祭は8月27日。
拝殿には、大船町・玉縄村の合併記念額が掲げられている。玉縄村は昭和8年(1933年)4月2日、大船町に編入された。昭和23年(1948年)、大船町は鎌倉市に編入された。
【ご利益】
厄災除け、方除け、家内安全、諸願成就
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諏訪神社(すわじんじゃ)は、神奈川県鎌倉市植木にある神社。植木諏訪神社とも。近隣では「すわじん」と呼ばれる。稲荷神社の兼務社である。御朱印の有無は不明。
龍宝寺門前の道路を北西方向へ、約200メートルくらい進んだところ。青緑色の屋根つき鳥居が目に入る。階段を登ると境内。本殿被屋と舞殿(神楽殿)がある。
戦国時代の永正9年(1512年)、北条早雲が小田原城の支城として玉縄城を築いた際、城内東北隅の諏訪壇に鬼門除の鎮護神として信州諏訪神社を勧請した。
玉縄城は現在の清泉女学院周辺にあたる。城内東北隅の諏訪壇は城内最後部とされ、標高約80メートル。
一説によれば、北条綱成(1515年-1587年)の時代に勧請したとも言われている。綱成一門の墓は現社殿脇の山径を登った山頂にあるという。
創建以来、一族の崇敬が篤かったが、天正17年(1589年)、玉縄城主北条氏勝が豊臣秀吉に敗れ、江戸時代初期の元和5年(1619年)、徳川幕府は城郭を廃棄した。
その際、村民は当社の荒廃を憂い、現在地に奉遷した。この時すでに鎌倉権五郎景政一門の霊を祀った御霊神社があり、当社と合祀された。
現在も当社の扁額には「諏訪・御霊両大神」と記されている。この御霊神社は、玉縄郷(玉縄荘・村岡郷)の鎮守で、玉縄御霊神社と呼ばれた。
『新編相模国風土記稿』にも記載され、玉泉寺が別当だった。植木・岡本・城廻(しろめぐり)の鎮守で、御祭神は神奈川県神社庁によれば建御名方神一座。
境内石碑には、建御名方神の他、勧請時にその姫神である八坂刀売命(八坂刀売神)の御神霊も移したとある。また、当然鎌倉景政やその一門も祀られているはず。例祭は8月27日。
拝殿には、大船町・玉縄村の合併記念額が掲げられている。玉縄村は昭和8年(1933年)4月2日、大船町に編入された。昭和23年(1948年)、大船町は鎌倉市に編入された。
【ご利益】
厄災除け、方除け、家内安全、諸願成就
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