平安前期に現在地に遷座、木曽義仲の崇敬、7月塩尻祭りで舞台
[住所]長野県塩尻市塩尻町433-1
[電話]0263-52-1681
阿禮神社(あれいじんじゃ)は、長野県塩尻市塩尻町にある神社。里宮は中央本線のみどり湖駅の北西約1.7キロ。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式』巻9・10神名帳 東山道神 信濃国 筑摩郡「阿礼神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では県社。
創祀年代は不詳。社伝によると、素盞嗚命が出雲国簸川上の大蛇を平げて後、科野国塩川上の荒彦山に化現し、悪鬼を討ち平げたという。
その大稜威を尊び仰ぎ奉ったのが当社の起源だという。荒彦山は、今の東山にある五百砥山(五百渡山)であるという。
平安時代前期の大同2年(807年)、坂上田村麻呂が勅命を奉じ、安曇郡有明山の兇賊を討つ時、戦勝を祈願し、平定の後に明神平、現在の奥社所在地に奉遷した。
仁寿元年(851年)9月、悪疫が流行した際、当時の当社宮司が旨を奉じて祈祷したところ、悪疫がただちに止んだことにより、遠近上下の崇敬を深めた。
翌仁寿2年(852年)、前宮とも里宮とも呼ばれる現社地に遷座し、大己貴命と誉田別命を合祀した。俗に「皇宮」とも称した。今は「大宮」と呼ばれるが、そもそもは皇宮から転訛したもの。
御祭神について、『神明帳考證』では「阿禮首守公同祖大碓命之後也」で大碓命とし、『神社覈録』では、海神綿積豊玉彦神子穂高見命之後の阿禮首祖神としている。
平安時代末期の治承年間(1177年-1181年)、木曾義仲が深く尊信し、祈願所と定め、治承4年(1180年)には木曾柏原の城中に御分霊を奉遷した。
義仲が没落すると、遺臣である今井、高梨などが社を上野国に奉遷した。今の群馬県勢多郡北橘村に鎮座する木曾三社神社である。
例祭は7月第2日曜日。前日の土曜日が宵宮。2日間合わせて塩尻祭りと呼ばれ、塩尻に夏を告げる祭り。
氏子は、上町・室町・中町・宮本町・堀の内・長畝・桟敷の七地区で構成されており、祭り当日は七地区からそれぞれ特徴のある舞台(山車)が出る。
祭りの呼び物は、その七地区より曳かれる舞台(山車)が、日曜日の本祭りの夕方から夜にかけて、当社に集結。
また、舞台曳行は、1秒単位で運行している。必ず時間通りに曳行するのも、当社例祭における山車曳行の大きな特徴の一つ。
現在の社殿は、江戸時代中期の寛保3年(1743年)に再建したものといわれている。一間社の流造の社殿を二つ並べ、その間に奥院を遥拝するための扉を設けている。
本殿の3社は、右から大宮八幡宮・阿禮大明神・塩尻大明神。社名の阿禮は、「アレ」であり村落を意味するという。
境内に「阿禮大神」を祀った石碑がある。拝殿前に、古い狛犬が復興されている。境内社がある。
【ご利益】
厄災除け、無病息災、地域安全、病気平癒、縁結び

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阿禮神社(あれいじんじゃ)は、長野県塩尻市塩尻町にある神社。里宮は中央本線のみどり湖駅の北西約1.7キロ。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式』巻9・10神名帳 東山道神 信濃国 筑摩郡「阿礼神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では県社。
創祀年代は不詳。社伝によると、素盞嗚命が出雲国簸川上の大蛇を平げて後、科野国塩川上の荒彦山に化現し、悪鬼を討ち平げたという。
その大稜威を尊び仰ぎ奉ったのが当社の起源だという。荒彦山は、今の東山にある五百砥山(五百渡山)であるという。
平安時代前期の大同2年(807年)、坂上田村麻呂が勅命を奉じ、安曇郡有明山の兇賊を討つ時、戦勝を祈願し、平定の後に明神平、現在の奥社所在地に奉遷した。
仁寿元年(851年)9月、悪疫が流行した際、当時の当社宮司が旨を奉じて祈祷したところ、悪疫がただちに止んだことにより、遠近上下の崇敬を深めた。
翌仁寿2年(852年)、前宮とも里宮とも呼ばれる現社地に遷座し、大己貴命と誉田別命を合祀した。俗に「皇宮」とも称した。今は「大宮」と呼ばれるが、そもそもは皇宮から転訛したもの。
御祭神について、『神明帳考證』では「阿禮首守公同祖大碓命之後也」で大碓命とし、『神社覈録』では、海神綿積豊玉彦神子穂高見命之後の阿禮首祖神としている。
平安時代末期の治承年間(1177年-1181年)、木曾義仲が深く尊信し、祈願所と定め、治承4年(1180年)には木曾柏原の城中に御分霊を奉遷した。
義仲が没落すると、遺臣である今井、高梨などが社を上野国に奉遷した。今の群馬県勢多郡北橘村に鎮座する木曾三社神社である。
例祭は7月第2日曜日。前日の土曜日が宵宮。2日間合わせて塩尻祭りと呼ばれ、塩尻に夏を告げる祭り。
氏子は、上町・室町・中町・宮本町・堀の内・長畝・桟敷の七地区で構成されており、祭り当日は七地区からそれぞれ特徴のある舞台(山車)が出る。
祭りの呼び物は、その七地区より曳かれる舞台(山車)が、日曜日の本祭りの夕方から夜にかけて、当社に集結。
また、舞台曳行は、1秒単位で運行している。必ず時間通りに曳行するのも、当社例祭における山車曳行の大きな特徴の一つ。
現在の社殿は、江戸時代中期の寛保3年(1743年)に再建したものといわれている。一間社の流造の社殿を二つ並べ、その間に奥院を遥拝するための扉を設けている。
本殿の3社は、右から大宮八幡宮・阿禮大明神・塩尻大明神。社名の阿禮は、「アレ」であり村落を意味するという。
境内に「阿禮大神」を祀った石碑がある。拝殿前に、古い狛犬が復興されている。境内社がある。
【ご利益】
厄災除け、無病息災、地域安全、病気平癒、縁結び

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