衣笠山公園の麓、衣笠城址の近く、近代に御霊社など29社を合祀
[住所]神奈川県横須賀市小矢部4-1202
[電話]046-822-0403 - 諏訪大神社

衣笠神社(きぬがさじんじゃ)は、神奈川県横須賀市小矢部にある神社。近代社格では村社。現在は諏訪大神社の兼務社である。御朱印の有無は不明。

衣笠山公園の山麓に鎮座する。もとは皇大神社。創建年代は不詳。御祭神は大日孁貴命

明治45年(1912年)3月26日、衣笠の鎮守で衣笠城のあった坂台の村社藏王社を含む衣笠村5社、小矢部村4社、金谷村2社、大矢部村6社、森崎村2社、池上村3社を合祀した。

一村一社の令によるもの。全29社で、いずれも各字の鎮守として崇敬されてきた。

社殿は、明治20年(1887年)6月に造営された小矢部1丁目1387番地に鎮座する熊野社・山王社を解体して移築した。

内陣は明治10年(1877年)に造営された衣笠町より遷宮した。大正2年(1913年)9月1日、現社号に改称した。

詳細は不明だが、合祀されたものの中に、谷部郷(矢部郷)の衣笠御霊神社が含まれるという。御祭神は三浦義明(三浦大介)だという。

三浦義明は鎌倉時代の武士。藤沢市宮前の村岡御霊神社を創建した平良文を祖とする。衣笠山公園と谷をひとつ隔てた隣の、現在の衣笠城址を拠点とした。

源頼朝は石橋山の戦いで敗れ房総半島へ逃げ延びた。頼朝軍と合流できずに引き返した義明は平家方の畠山重忠軍と衣笠城合戦に及び、衣笠城は落城。義明は討ち死にした。

その後、三浦一族は房総半島に逃れたが、鎌倉幕府成立後、衣笠城はまた三浦氏の本拠となった。しかし宝治元年(1247年)、宝治合戦で三浦党が没落すると廃城になった。

戦後、大矢部・平作・阿部倉・池上は参拝に遠隔不便のため、各町ごとに鎮守を分離、復社した。現在の氏子地域は、小矢部・衣笠栄町・金谷・衣笠。

昭和60年(1985年)3月、修復委員会により、住民の協力の下、鳥居の建立、屋根葺き替え、回廊の修理が行われた。

例祭は7月第4土曜日で例大祭。1月1日が新年祭、2月には節分祭があり、4月第1日曜日が春祭、11月第4日曜日が秋祭。境内社に、稲荷神社・山王森大神・伊勢宮がある。

社殿の左右に砲弾を載せていた一対の台座が残る。左側は風化して判読できないが、右側の刻字によると日清戦争の勝利を紀念して奉納されたもの。明治35年(1902年)建立。

衣笠山公園の2000本を超える桜の景観は、『日本さくら名所100選』に選定されている。この衣笠山は日本海軍の重巡洋艦「衣笠」の名前の由来とされ、『艦これ』ファンも訪れる。

ちなみに、「衣笠」の艦内神社平野神社走水神社からの分祀。一説に、当社や三浦義明を合祀、あるいはその像を安置しているとも。

また、衣笠山公園はアニメ『ハイスクール・フリート』のポスター背景に使用されたことでも知られる。

【ご利益】
開運招福、武運長久・勝運
衣笠神社 神奈川県横須賀市小矢部
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