頼朝の父義朝の館の鎮守、手植えの大イチョウ、謎の御祭神
[住所]神奈川県逗子市沼間3-10-34
[電話]0467-22-3347 - 八雲神社
五霊神社(ごりょうじんじゃ)は、神奈川県逗子市沼間にある神社。近代社格では村社。八雲神社の兼務社で、御朱印も八雲神社で頂ける。
社伝によれば、平安時代後期、源頼朝の父である源義朝(1123年-1160年)が沼間の館、いわゆる沼浜亭の鎮守として勧請したという。
境内の大銀杏(イチョウ)は義朝手植えの木とも伝わる。ただし、樹齢は600年とされ、その場合年代は合わない。一方で、樹齢は800年から1000年ともされる。
高さ25メートル・胸高周囲6.7メートルの古木で、「五霊神社の大イチョウとその周辺の樹木」として、県の天然記念物に指定されている。
鶴岡八幡宮の大銀杏とも併称されることがあり、かながわの名木100選にも認定されており、当社のシンボルで、御神木としても丁重に祀られている。
当社は沼間の鎮守。沼間は、かつては沼浜郷と呼ばれ、『倭名類聚抄』にみられる鎌倉七郷の一つ。沼浜が転訛して沼間になったと考えられている。
義朝の沼浜亭は、現在の法勝寺辺りにあったといわれ、後に北条政子によって壽福寺に移されたという。明治の神仏分離までは光照寺が別当寺を勤めていた。
『新編相模国風土記稿』には「御霊社牛頭天王を合祀す」とある。やはり江戸時代後期の天保7年(1836年)11月、『書上絵図面』にも「御霊社」とある。
明治6年(1873年)、村社に列し、明治8年(1875年)でも『田畑等反別取調野帳』に「五霊社又は御霊社」とあった社名は、後に現社号に統一した。
当地には他に、古くは熊野大神・太神宮・諏訪明神が祀られていたが、明治42年(1909年)、当社に合併した。大正10年(1921年)7月、神饌幣帛料供進社に指定された。
御祭神は天手力男命。一般的には有名な神だが、おそらく、御霊・五霊と呼ばれる、県内はもとより全国の神社の中でも唯一の御祭神だろう。
義朝勧請であれば、源氏の氏神である八幡でなければおかしい、という説もあるが、頼朝も含めて、源氏が勧請する神社はすべて八幡とは限らないので、それは置いておく。
江戸時代後期ごろから、合祀は行われているが、現在までに御祭神はあくまでも1柱。それ以前も1柱であり、しかも天手力男命で、御霊・五霊と呼ばれた。
なぜ天手力男命なのか、不詳。御霊信仰に基本的には合致しない御祭神であり、あるいは5柱の御祭神を祀るものでもない、など、不自然な点が多いのは確か。
ちなみに、御霊神社の本社とされる藤沢市宮前の村岡御霊神社の由緒には、当社のことと思われる社について触れられている。
例祭は7月20日に近い土曜日で例大祭。7月18日に近い日曜日が神幸祭。3月第1日曜日が祈年祭で、12月第1日曜日が新嘗祭。
【ご利益】
身体壮健、技芸・スポーツ上達、病気平癒

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・神奈川県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、神奈川県に鎮座している神社の一覧
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五霊神社(ごりょうじんじゃ)は、神奈川県逗子市沼間にある神社。近代社格では村社。八雲神社の兼務社で、御朱印も八雲神社で頂ける。
社伝によれば、平安時代後期、源頼朝の父である源義朝(1123年-1160年)が沼間の館、いわゆる沼浜亭の鎮守として勧請したという。
境内の大銀杏(イチョウ)は義朝手植えの木とも伝わる。ただし、樹齢は600年とされ、その場合年代は合わない。一方で、樹齢は800年から1000年ともされる。
高さ25メートル・胸高周囲6.7メートルの古木で、「五霊神社の大イチョウとその周辺の樹木」として、県の天然記念物に指定されている。
鶴岡八幡宮の大銀杏とも併称されることがあり、かながわの名木100選にも認定されており、当社のシンボルで、御神木としても丁重に祀られている。
当社は沼間の鎮守。沼間は、かつては沼浜郷と呼ばれ、『倭名類聚抄』にみられる鎌倉七郷の一つ。沼浜が転訛して沼間になったと考えられている。
義朝の沼浜亭は、現在の法勝寺辺りにあったといわれ、後に北条政子によって壽福寺に移されたという。明治の神仏分離までは光照寺が別当寺を勤めていた。
『新編相模国風土記稿』には「御霊社牛頭天王を合祀す」とある。やはり江戸時代後期の天保7年(1836年)11月、『書上絵図面』にも「御霊社」とある。
明治6年(1873年)、村社に列し、明治8年(1875年)でも『田畑等反別取調野帳』に「五霊社又は御霊社」とあった社名は、後に現社号に統一した。
当地には他に、古くは熊野大神・太神宮・諏訪明神が祀られていたが、明治42年(1909年)、当社に合併した。大正10年(1921年)7月、神饌幣帛料供進社に指定された。
御祭神は天手力男命。一般的には有名な神だが、おそらく、御霊・五霊と呼ばれる、県内はもとより全国の神社の中でも唯一の御祭神だろう。
義朝勧請であれば、源氏の氏神である八幡でなければおかしい、という説もあるが、頼朝も含めて、源氏が勧請する神社はすべて八幡とは限らないので、それは置いておく。
江戸時代後期ごろから、合祀は行われているが、現在までに御祭神はあくまでも1柱。それ以前も1柱であり、しかも天手力男命で、御霊・五霊と呼ばれた。
なぜ天手力男命なのか、不詳。御霊信仰に基本的には合致しない御祭神であり、あるいは5柱の御祭神を祀るものでもない、など、不自然な点が多いのは確か。
ちなみに、御霊神社の本社とされる藤沢市宮前の村岡御霊神社の由緒には、当社のことと思われる社について触れられている。
例祭は7月20日に近い土曜日で例大祭。7月18日に近い日曜日が神幸祭。3月第1日曜日が祈年祭で、12月第1日曜日が新嘗祭。
【ご利益】
身体壮健、技芸・スポーツ上達、病気平癒

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