村岡御霊社を勧請、5柱を祀り改称、10月例大祭で神輿渡御
[住所]神奈川県横浜市戸塚区汲沢町1273
[電話]045-864-3704
五霊神社(ごりょうじんじゃ)は、神奈川県横浜市戸塚区汲沢町にある神社。汲沢五霊神社とも。地元では「ごりょうさま」で親しまれている。参拝すれば、御朱印を頂ける。
横浜新道の戸塚警察署がある交差点から、西側の住宅街へ入って行ったところに鎮座する。バス停は「五霊神社前(ごれいじんじゃまえ)」。社叢を形成し、雰囲気が良い。
鳥居から急な石段を上がる最中に、左右に合祀された小さな社や石仏が点在している。また、階段の中腹付近に二の鳥居があり、そこに狛犬が配置されている。
戦国時代の元亀2年(1571年)9月15日、創建されたと伝わる。当時この地は村岡郷に属しており、森織部義秀が村岡郷宮前村の御霊社を勧請した。
御祭神は、村岡五郎平良文・村岡公致・村岡致成。後に鎌倉景成、鎌倉権五郎景政を合祀して祭神が5柱となったので、社名を御霊から五霊に改めたという。
安土桃山時代の慶長2年(1597年)、社殿を再建して、五霊大権現と称した。再建に当って、氏子一戸より松苗12本ずつ集めた。
それを植えて生育させ、目通り1丈あまりに達したというが、いずれかの時期に枯損したという。いずれにせよ、俣野郷(村岡郷汲沢邑)の鎮守として崇敬された。
その後、春日様式の流れ造りの社殿は2回改築され、さらに関東大震災で倒壊したため、大正13年(1924年)12月15日、権現造りの社殿が竣工した。
しかしその後、雨漏りなどがあり、その都度修繕してきたが、氏子崇敬者などの浄財を願い昭和57年(1982年)11月6日、新社殿が竣工した。
れ祭は10月第1日曜日。神輿渡御が行われる。1月1日が歳旦祭、1月14日が左義長祭で、齋火祭(さいとさい)、いわゆるどんど焼き。弓矢祭りも行われる。
2月17日が祈年祭で年乞祭。2月節分に節分祭が行われ、11月23日が新嘗祭、12月31日が大祓祭。現在は汲沢の鎮守である。
モミの木は市の名木古木に指定されている。なお、当社は区内上矢部街の坂本第六社、番匠谷第六社などを兼務している。
【ご利益】
諸願成就、地域安全、リフレッシュ

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五霊神社(ごりょうじんじゃ)は、神奈川県横浜市戸塚区汲沢町にある神社。汲沢五霊神社とも。地元では「ごりょうさま」で親しまれている。参拝すれば、御朱印を頂ける。
横浜新道の戸塚警察署がある交差点から、西側の住宅街へ入って行ったところに鎮座する。バス停は「五霊神社前(ごれいじんじゃまえ)」。社叢を形成し、雰囲気が良い。
鳥居から急な石段を上がる最中に、左右に合祀された小さな社や石仏が点在している。また、階段の中腹付近に二の鳥居があり、そこに狛犬が配置されている。
戦国時代の元亀2年(1571年)9月15日、創建されたと伝わる。当時この地は村岡郷に属しており、森織部義秀が村岡郷宮前村の御霊社を勧請した。
御祭神は、村岡五郎平良文・村岡公致・村岡致成。後に鎌倉景成、鎌倉権五郎景政を合祀して祭神が5柱となったので、社名を御霊から五霊に改めたという。
安土桃山時代の慶長2年(1597年)、社殿を再建して、五霊大権現と称した。再建に当って、氏子一戸より松苗12本ずつ集めた。
それを植えて生育させ、目通り1丈あまりに達したというが、いずれかの時期に枯損したという。いずれにせよ、俣野郷(村岡郷汲沢邑)の鎮守として崇敬された。
その後、春日様式の流れ造りの社殿は2回改築され、さらに関東大震災で倒壊したため、大正13年(1924年)12月15日、権現造りの社殿が竣工した。
しかしその後、雨漏りなどがあり、その都度修繕してきたが、氏子崇敬者などの浄財を願い昭和57年(1982年)11月6日、新社殿が竣工した。
れ祭は10月第1日曜日。神輿渡御が行われる。1月1日が歳旦祭、1月14日が左義長祭で、齋火祭(さいとさい)、いわゆるどんど焼き。弓矢祭りも行われる。
2月17日が祈年祭で年乞祭。2月節分に節分祭が行われ、11月23日が新嘗祭、12月31日が大祓祭。現在は汲沢の鎮守である。
モミの木は市の名木古木に指定されている。なお、当社は区内上矢部街の坂本第六社、番匠谷第六社などを兼務している。
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