代々の末次城主、松江城主に崇敬された松江の三大稲荷
[住所]島根県松江市寺町183
[電話]0852-21-2513
出世稲荷神社(しゅっせいなりじんじゃ)は、島根県松江市寺町にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
松江市橋南、ボートピア松江の北西側に鎮座。繁華街の中。しっかりとした造りの境内で、鳥居二基、入母屋向拝付きの拝殿、高束の上に大社造変態の本殿。
創建年代は不詳。昔、宍道湖と中海を望む末次(すえつぐ)と呼ばれたこの松江の地は、農耕も適さない湿地帯だったという。
そこで、里人は現在松江城のある末次山に農耕の守護神として宇賀御魂神を、文武の徳によって郷内の秩序を整えるため誉田別命を祀ったという。
その後、この2柱の守護神の御神徳により末次の地は次第に栄え、現在の松江市の基礎ができたという。
鎌倉時代、末次の地頭だった土屋六郎や、その後に末次城主となった末次清政、関ヶ原の合戦後、出雲に封じられた堀尾吉晴も崇敬した。
吉晴は末次山に松江城を築城するに際し、今の県民会館付近にあたる細工所に当社を遷座、社殿を新造したと伝わる。
以後、御祭神名により稲荷神社と称するようになり、明治になるまで代々の松江藩主の信仰を集めた。
また、出世開運に非常にご利益があるというので、いつからともなく「出世稲荷さん」と呼ばれるようになった。
霊験あらたかな社として市内東本町の船霊稲荷(船玉稲荷)、石橋町の児守稲荷とともに松江の三大稲荷の一つとされたという。
明治21年(1888年)、参拝者の利便を考え、今の寺町に遷座した。御祭神は宇賀御魂神が主祭神で、誉田別命の他、大床主神・水波女神を併せて祀る。
水波女神は水の神だが、大床主神は病気平癒の神とされる。本来は大地の神とされるが、大国主大神の別名であり、その御神徳が加味されたのだろう。
本殿左後ろに三社の境内社が並び、左より荒神社(須佐之男命)、琴平神社(大物主神)、地主神社(大地主神)。
財布や名刺入れに入る便利なカード型お守りや熊手、破魔矢、破魔弓など授与品や、絵馬、商売繁盛の御神札なども取り扱っている。
【ご利益】
出世開運・商売繁昌・身体創建・病気平癒・安産など(公式HP)

【関連記事】
・松江の三大稲荷 - 歴代の松江藩主や松江城関係者に崇敬された三つの稲荷神社
・島根県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、島根県に鎮座している神社の一覧
[電話]0852-21-2513
出世稲荷神社(しゅっせいなりじんじゃ)は、島根県松江市寺町にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
松江市橋南、ボートピア松江の北西側に鎮座。繁華街の中。しっかりとした造りの境内で、鳥居二基、入母屋向拝付きの拝殿、高束の上に大社造変態の本殿。
創建年代は不詳。昔、宍道湖と中海を望む末次(すえつぐ)と呼ばれたこの松江の地は、農耕も適さない湿地帯だったという。
そこで、里人は現在松江城のある末次山に農耕の守護神として宇賀御魂神を、文武の徳によって郷内の秩序を整えるため誉田別命を祀ったという。
その後、この2柱の守護神の御神徳により末次の地は次第に栄え、現在の松江市の基礎ができたという。
鎌倉時代、末次の地頭だった土屋六郎や、その後に末次城主となった末次清政、関ヶ原の合戦後、出雲に封じられた堀尾吉晴も崇敬した。
吉晴は末次山に松江城を築城するに際し、今の県民会館付近にあたる細工所に当社を遷座、社殿を新造したと伝わる。
以後、御祭神名により稲荷神社と称するようになり、明治になるまで代々の松江藩主の信仰を集めた。
また、出世開運に非常にご利益があるというので、いつからともなく「出世稲荷さん」と呼ばれるようになった。
霊験あらたかな社として市内東本町の船霊稲荷(船玉稲荷)、石橋町の児守稲荷とともに松江の三大稲荷の一つとされたという。
明治21年(1888年)、参拝者の利便を考え、今の寺町に遷座した。御祭神は宇賀御魂神が主祭神で、誉田別命の他、大床主神・水波女神を併せて祀る。
水波女神は水の神だが、大床主神は病気平癒の神とされる。本来は大地の神とされるが、大国主大神の別名であり、その御神徳が加味されたのだろう。
本殿左後ろに三社の境内社が並び、左より荒神社(須佐之男命)、琴平神社(大物主神)、地主神社(大地主神)。
財布や名刺入れに入る便利なカード型お守りや熊手、破魔矢、破魔弓など授与品や、絵馬、商売繁盛の御神札なども取り扱っている。
【ご利益】
出世開運・商売繁昌・身体創建・病気平癒・安産など(公式HP)

【関連記事】
・松江の三大稲荷 - 歴代の松江藩主や松江城関係者に崇敬された三つの稲荷神社
・島根県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、島根県に鎮座している神社の一覧

コメント