咤枳尼天堂「油揚げ」、江戸中期に佐倉城主が寄進した御本尊
[住所]千葉県成田市成田1 成田山新勝寺境内
[電話]0476-22-2111 - 成田山新勝寺
出世稲荷(しゅっせいなり)は、千葉県成田市成田の成田山新勝寺境内にある神社。成田山新勝寺の御朱印の一つとして、当社のものもある。当社には別に社務所があり、当社の御朱印はそこで頂ける。
出世開運稲荷とも呼ばれる。正式には咤枳尼天堂である。成田山大本堂前の休憩所脇にある石段を上り、左手少しの所。
創建年代はよく分からないが、御本尊は木造で、江戸時代中期の宝永年間(1704年-1711年)、佐倉城主稲葉丹後守正往が寄進したもの。
当社参道で、出世開運稲荷への石段と呼ばれる石段を上ると、左右に七代目市川團十郎父子が嘉永5年(1852年)に奉納した石灯籠がある。
現在のお堂は、明治21年(1888年)に再建されたもので、その彫工は後藤敬信(向拝竜裏側)「刻銘」と石川銀次郎(脇障子裏側)「刻銘」。
お堂の手前には咤枳尼天尊に供える「油揚げ」と「ろうそく」を売っている店がある。200円で購入できる。
当社は神社であり、実際に社務所もあるが、寺院境内にある社なので、「二礼二拍手一礼」でなく、寺院での参拝の作法「合掌一礼」となるのも特徴。
出世稲荷絵馬掛けがあり、多くの真っ赤な絵馬が掲げられていう。絵馬の後ろには名刺を貼る。
輪宝付道標がある。以前は酒々井町にあったものを移設した。「右成田道 左いんばぬま道」とある。幕末の万延2年(1861年)正月のもの。
弘恵会土屋駐車場からは出世開運繸道を通り境内に行ける。繸道はトンネルのこと。トンネル上部には「道繸運開卋出」とある。
成田山新勝寺の境内社として、参拝客も多く、そのためか御利益があったとの口コミが広がり、パワースポットとして根強い人気がある。
【ご利益】
出世開運、事業成功、商売繁盛、子孫繁栄

【関連記事】
・千葉県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、千葉県に鎮座している神社の一覧
[電話]0476-22-2111 - 成田山新勝寺
出世稲荷(しゅっせいなり)は、千葉県成田市成田の成田山新勝寺境内にある神社。成田山新勝寺の御朱印の一つとして、当社のものもある。当社には別に社務所があり、当社の御朱印はそこで頂ける。
出世開運稲荷とも呼ばれる。正式には咤枳尼天堂である。成田山大本堂前の休憩所脇にある石段を上り、左手少しの所。
創建年代はよく分からないが、御本尊は木造で、江戸時代中期の宝永年間(1704年-1711年)、佐倉城主稲葉丹後守正往が寄進したもの。
当社参道で、出世開運稲荷への石段と呼ばれる石段を上ると、左右に七代目市川團十郎父子が嘉永5年(1852年)に奉納した石灯籠がある。
現在のお堂は、明治21年(1888年)に再建されたもので、その彫工は後藤敬信(向拝竜裏側)「刻銘」と石川銀次郎(脇障子裏側)「刻銘」。
お堂の手前には咤枳尼天尊に供える「油揚げ」と「ろうそく」を売っている店がある。200円で購入できる。
当社は神社であり、実際に社務所もあるが、寺院境内にある社なので、「二礼二拍手一礼」でなく、寺院での参拝の作法「合掌一礼」となるのも特徴。
出世稲荷絵馬掛けがあり、多くの真っ赤な絵馬が掲げられていう。絵馬の後ろには名刺を貼る。
輪宝付道標がある。以前は酒々井町にあったものを移設した。「右成田道 左いんばぬま道」とある。幕末の万延2年(1861年)正月のもの。
弘恵会土屋駐車場からは出世開運繸道を通り境内に行ける。繸道はトンネルのこと。トンネル上部には「道繸運開卋出」とある。
成田山新勝寺の境内社として、参拝客も多く、そのためか御利益があったとの口コミが広がり、パワースポットとして根強い人気がある。
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出世開運、事業成功、商売繁盛、子孫繁栄

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