江戸後期の勧請とも、慶長期の創祀とも、2本の大イチョウ
[住所]埼玉県川越市松江町1-7-1
[電話]-
出世稲荷神社(しゅっせいなりじんじゃ)は、埼玉県川越市松江町にある神社。御朱印の有無は不明。
当社の鎮座する松江町は、川越城の南西の方角に位置する。地名の由来は、往古この辺から仙波あたりにかけて大きな沼があり、この沼から鱸(スズキ)が獲れた。
その味が、かの唐の松江の巨口細鱗の鱸に劣らないほど美味だったため、訓読の方が語呂が良いことから松江と号するようになったという。
江戸時代後期の天保2年(1832年)、地主の立川氏が屋敷の鎮守として、京都の伏見稲荷大社より分祀、創建されたと伝わる。
御祭神は、宇迦之御魂大神、佐田彦之大神、大宮能売ノ大神。例祭は4月10日。
ただし、『明細帳』には、当地の松山惣助という者の祖先が、安土桃山時代の慶長年間(1596年-1615年)に当地に住むようになって奉斎したものだともいう。
多くの奇異や霊験があったので、近隣の住民も崇敬するようになり、後に村の共有の神社としたという。
幕末の安政7年(1855年)の棟札には「出世稲荷大明神社」とあり、「別当万宝院右教房秀玉」「発願組頭松山惣助」などの名が見える。
明治初め(1868年)の神仏分離により万宝院の管理を離れ、その後、祀職は岡本逢之助、保、一夫と継いだ。
当社の本殿は川越城下町特有の土蔵造りであり、明治23年(1890年)の大火にも焼失を免れた。
境内にある、「大いちょう」として市の天然記念物に指定されている2本のイチョウは、「いちょう窪の出世稲荷の公孫樹(イチョウ)」とも呼ばれる。
樹齢600年あまりとされ、樹高は約26.5メートル。大きい方は幹の太さが約7メートル、市内最大の巨樹。黄葉する秋が一番の見頃で、そこ頃になると境内一面も黄色に染まる。
川越景観百選にも「出世稲荷の大いちょう」として認定されている。
【ご利益】
出世開運、五穀豊穣・商売繁盛、火防
【関連記事】
・埼玉県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、埼玉県に鎮座している神社の一覧
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出世稲荷神社(しゅっせいなりじんじゃ)は、埼玉県川越市松江町にある神社。御朱印の有無は不明。
当社の鎮座する松江町は、川越城の南西の方角に位置する。地名の由来は、往古この辺から仙波あたりにかけて大きな沼があり、この沼から鱸(スズキ)が獲れた。
その味が、かの唐の松江の巨口細鱗の鱸に劣らないほど美味だったため、訓読の方が語呂が良いことから松江と号するようになったという。
江戸時代後期の天保2年(1832年)、地主の立川氏が屋敷の鎮守として、京都の伏見稲荷大社より分祀、創建されたと伝わる。
御祭神は、宇迦之御魂大神、佐田彦之大神、大宮能売ノ大神。例祭は4月10日。
ただし、『明細帳』には、当地の松山惣助という者の祖先が、安土桃山時代の慶長年間(1596年-1615年)に当地に住むようになって奉斎したものだともいう。
多くの奇異や霊験があったので、近隣の住民も崇敬するようになり、後に村の共有の神社としたという。
幕末の安政7年(1855年)の棟札には「出世稲荷大明神社」とあり、「別当万宝院右教房秀玉」「発願組頭松山惣助」などの名が見える。
明治初め(1868年)の神仏分離により万宝院の管理を離れ、その後、祀職は岡本逢之助、保、一夫と継いだ。
当社の本殿は川越城下町特有の土蔵造りであり、明治23年(1890年)の大火にも焼失を免れた。
境内にある、「大いちょう」として市の天然記念物に指定されている2本のイチョウは、「いちょう窪の出世稲荷の公孫樹(イチョウ)」とも呼ばれる。
樹齢600年あまりとされ、樹高は約26.5メートル。大きい方は幹の太さが約7メートル、市内最大の巨樹。黄葉する秋が一番の見頃で、そこ頃になると境内一面も黄色に染まる。
川越景観百選にも「出世稲荷の大いちょう」として認定されている。
【ご利益】
出世開運、五穀豊穣・商売繁盛、火防
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