村木砦の戦い、信長が本陣に定めた地、9月下旬に大規模おまんと
[住所]愛知県知多郡東浦町大字森岡字天王西27
[電話]0562-83-9873

村木神社(むらきじんじゃ)は、愛知県知多郡東浦町森岡にある神社。近代社格では村社。御朱印の有無は不明。

大正2年(1913年)、現在地にあった津島社(天王社)に八藩社を合祀し、現社号に改称した。

その際、源太夫社(乎止與命)、白山社(白山大権現)、妙見社、村神社、山之神二社も合祀した。

明治9年(1876年)に村木村から森岡になったため、村木砦址を意識した名称だったと考えられる。

津島社には、延徳3年(1491年)の棟札があるがそれ以前、創建年代含め不詳。津島社のあった当地は、村木砦の戦いの際、織田信長が本陣を定めた場所である。

戦国時代の天文22年(1553年)、今川義元は天下統一を志して尾張へと侵入し、刈谷・緒川地域に勢力をもつ織田方の水野氏に備えて、当地に砦を築いた。

これが村木砦である。しかし、水野信元は天文23年(1554年)1月24日、織田信長の支援を受けてこの砦を奪取した。

村木砦は現在取手と呼ばれる小字の北半分を占め、東西240メートル、南北約150メートルの馬蹄形をした地域。取手と荒子の境界となっている旧道は、当時の空堀の跡。

元亀2年(1571年)、村木砦の戦の死者の霊を祀るために村木砦跡に建立された八剱社(倭建命)がある。境内に森岡貝塚がある。

村木砦の戦いから数年後の永禄4年(1561年)、水野信元の代官清水八右ェ門家重は現在の森岡字段上に八幡社を創建した。

八幡社の旧境内には、金鶏山古墳遺跡がある。直径10メートル、高さ2メートルの横穴式石室を持つ円墳。

中には間口1.5メートル 奥行3メートルほどの石室があり、提瓶2個、広口壺・平瓶・蓋付高坏各1個が出土した。出土物は、郷土資料館に展示・保管されている。

大正時代、この地は森岡尋常小学校用地となり、昭和5年(1930年)、校地整理の必要から古墳は取り壊され、現在は森岡保育園になっている。

当社の御祭神は、建速須佐之男大神(牛頭天王)、品陀和気命菊里比咩神足名椎の神手名椎の神天照皇大神。神紋は五三桐。

社号票には「邨社」のように見える字がある。村社の意。社殿前には幕末の文久元年(1861年)銘の石灯籠がある。

また、拝殿の東側に神馬像が安置されている。当社の例祭はこの馬にちなむ、おまんと祭り。9月下旬に開催される。東浦町おまんと祭りの一つ。

当社の祭りは、他の地区に比べ馬の数も多く、祭りで使用される飾り馬の馬道具は町指定文化財である。

いつもひっそりとしている境内だが、この日は多くの人で賑わい、露店も出る。また、森岡地区として、同時に屋形町曳きも行われる。

【ご利益】
厄災除け、病魔退散、無病息災、身体壮健
村木神社 愛知県知多郡東浦町
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