関東大震災乗り越え、空襲死者なし、高須藩上屋敷の火伏せの神
[住所]東京都新宿区荒木町10
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金丸稲荷神社(かなまるいなりじんじゃ)は、東京都新宿区荒木町にある神社。御朱印の有無は不明。

四谷三丁目駅近くの新宿通りから飲食店が並ぶ荒木町の車力門通りを進んでいく。荒木公園の片隅にひっそりと鎮座する。鳥居の下にちょうちんが並んでいる。

江戸時代前期の天和3年(1683年)、美濃国高須藩主松平摂津守義行がこの地一帯を拝領し、上屋敷とした時、藩主の守護神として宇迦能御魂大神を奉斎したのが起源。

義行は尾張藩2代藩主徳川光友の次男。この地を俗称として津の守というのは、松平摂津守の上屋敷があったことの名残。また、当地は三業とも呼ばれた。

明治5年(1872年)7月、荒木町が誕生すると、料亭や芸妓など花街として栄え、町の発展とともに、当社は町民の暮らしの中で崇敬された。

家内安全、商売繁盛、財運、出世、火伏せの神として知られ、江戸の大火も、大正12年(1923年)の関東大震災にもその災禍を免がれたと伝えらる。

昭和20年(1945年)5月24日の東京大空襲では、全町が焦土と化したが、町民には一人の死者もなかったという。

昭和27年(1952年)11月、現在地の隣接場所に遷座し、昭和50年(1975年)4月に敷地整理のため、町内有志や三業組合、崇敬者の寄進により、現在地に遷座した。

当社の鳥居の前の細い道を道なりに50メートルほど進むと、津の守弁財天が池のほとりに鎮座している。高須藩の屋敷跡のランドマーク。

幕末の著名人の一人、最後の会津藩主で京都守護職の松平容保はこの屋敷で生まれた。

容保は、尾張藩14代藩主徳川慶勝、15代藩主徳川茂徳 、京都所司代の桑名藩主松平定敬とともに、高須四兄弟と呼ばれた実の兄弟の関係にある。

当社の玉垣の奉納には料亭や割烹らしき屋号が多く、町の産業を象徴している。左側の一番太い柱には伊勢丹、右側は昭和4年(1929年)に立教された解脱会。

【ご利益】
商売繁盛、事業成功、火防
金丸稲荷神社 東京都新宿区荒木町
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