江戸初期に当地の守護神として奉斎、もとは真須美稲荷、正五九祭
[住所]東京都新宿区四谷坂町10-5
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桝箕稲荷神社(ますみのいなりじんじゃ)は、東京都新宿区四谷坂町にある神社。御朱印の有無は不明。

枡箕児童公園内に鎮座する。すぐ北側には靖国通り、通りの先には防衛省がある。周辺は、アパートや低層マンションが並ぶ、完全な住宅街。

江戸時代初期の元和年間(1515年-1624年)、坂町の守護神としてこの地に宇迦能御魂大神(倉稲魂大神)と猿田彦命大神を奉斎したのが起源。

猿田彦命大神は猿田彦命のことと思われるが、猿田彦大神と呼ばれることはあっても、猿田彦命大神と命と大神を並べて唱える例はないと思われる。

また、相殿に猿田彦大宮が祀られるとあり、境内案内には大宮売名に関する説明もあることから、おそらく御祭神は、宇迦能御魂大神と猿田彦命、大宮売神

宇迦能御魂大神は食物を司る保食の神で、伊勢の神宮(伊勢神宮)の豊受大神宮(外宮)と同体だという。農村では五穀豊穣の神、町方では家内安全・商売繁盛・無病息災の守護神として崇拝された。

猿田彦命は、天孫降臨の道案内をした神で、地鎮・建築・方除・導きの神として尊崇された。大宮売名は神と人の間を取り持ち、和平を図り、家内円満などを司る神として奉斎されているという。

境内案内には「神人の間」とあるものの、ここでは、天孫降臨時の、天孫族(神)と国つ神である猿田彦命(人)を取り持ったと解釈できるか。

昔は真須美稲荷と呼ばれ、明るく澄み渡り暗きを照らすと言い伝えられ五穀を司る神として崇敬された。

当社の周囲は、御手洗組の屋敷があり、幕府よりこの場所が恩賜米の配分などが行われ、いつの頃か枡箕の文字が用いられるようになったという。

あるいは、本来が食物、ことに稲の神であるので、稲穂にちなみ、何時のころよりか「桝箕」の文字を用いるようになったという。

昭和20年(1945年)5月の空襲によって社殿は焼失したが、戦後になり、氏子崇敬者の献身的な努力によって、昭和23年(1948年)11月に仮社殿が造営された。

さらに、昭和25年(1950年)に仮社務所が完成、昭和29年(1954年)に仮社務所を増築、昭和34年(1959年)5月に社殿が完成した。

昭和36年(1961年)6月には社務所の改築と神楽殿が完成した。現在は町の守護神として信仰集め、崇敬保存会によって運営管理されている。

例祭は正五九祭と呼ばれ、正月、5月、9月の各第2日曜日に執り行われている。

【ご利益】
五穀豊穣、商売繁盛、家内安全、無病息災
桝箕稲荷神社 東京都新宿区四谷坂町
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