町名由来の酒井忠勝の下屋敷の邸内社、火除の神、境内に正雪地蔵尊
[住所]東京都新宿区矢来町1-9
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矢来町秋葉神社(やらいちょうあきばじんじゃ)は、東京都新宿区矢来町にある神社。矢来秋葉神社とも。正式には秋葉神社のみか。現在は赤城神社の兼務社である。御朱印の有無は不明。

創建年代は不詳。江戸時代前期の寛永年間(1624年-1644年)まで牛込寺町、現在の神楽坂6丁目付近に鎮座し、火除の神として崇敬されていたという。

しかしその後、同所住民の願いにより、矢来の酒井若狭守の下屋敷へ遷座し、以来、酒井家の邸内社として崇敬された。

寛永5年(1628年)、酒井忠勝は、全幅の信頼を得ていた3代将軍徳川家光から当地の4万3500坪を与えられたという。

将軍自ら100回以上もこの酒井邸に御成りした記録が残っている。忠勝は将軍警護の意味もあったのか、邸の周囲の土手を竹矢来で囲んだという。

この酒井邸の竹矢来は江戸名物の一つに数えられた。現在の矢来町の地名の由来である。明治になって門戸を開き、一般人も参詣できるようになった。御祭神は迦具土神

昭和27年(1952年)、酒井家より、矢来町秋葉神社奉賛会に無償で贈与され、昭和49年(1974年)9月、宗教法人として発足した。

境内入ってすぐ右手のお堂の中に正雪地蔵尊が祀られている。江戸時代前期、由比正雪の屋敷が、現在の弁天町にあり、そこから出土したのが、この切支丹燈籠だという。

正雪は、幕府転覆と浪人救済のため起こした慶安の乱の首謀として知られている。正雪や慶安の乱がキリシタンやキリスト教と関係しているかどうかは不明。

ただ、この燈篭、もとはやはり酒井家屋敷内にあったものが酒井家が移転したとき町内に譲られたものともされる。

キリシタン大名として知られる豊後の大友宗麟の子孫である義乗の屋敷が近くにあり、その土中から出土した、とも。

本殿へ向かう手前にある手水鉢には「寛延四歳辛未二月」の銘がある。寛延4年は江戸時代中期の1751年。もとから当社のものであれば、酒井邸の邸内社だった頃のものとなる。

また、明治4年(1871年)建立の狛犬がある。台座には「小日向水道街」と刻まれているが、銘通りであれば、当社が一般開放されて間もなくの頃の奉納か。

なお、区内には新宿1丁目にも秋葉神社があり、混同されることもあるが、別の神社である。当社が特に町名を冠して呼ばれる所以。

【ご利益】
厄災除け、火防
矢来町秋葉神社 東京都新宿区矢来町
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