上杉謙信を輩出した長尾氏ルーツの地に、その祖を村岡から勧請
御霊神社 神奈川県横浜市栄区長尾台372
[住所]神奈川県横浜市栄区長尾台372
[電話]045-311-5401 - 大綱金刀比羅神社

御霊神社(ごりょうじんじゃ)は、神奈川県横浜市栄区長尾台にある神社。近代社格では村社。現在は大綱金刀比羅神社の兼務社である。御朱印の有無は不明。

長尾御霊神社、長尾臺御霊神社、長尾壺御霊神社、長尾台御霊神社などとも。

長尾氏は鎌倉扇ケ谷の上杉氏の家臣で、その祖は、長尾の地に住し、長尾次郎と名乗った長尾景弘。この長尾景弘が鎌倉権五郎景政の玄孫にあたる。

景弘の長子である新五為景(新五郎為宗?)が鎌倉時代、祖先を奉斎していた村岡村宮前御霊神社の御分霊を勧請し、創建したと伝わる。御祭神は鎌倉権五郎景政。

勧請者は長尾為景ともされる。長尾為景は一般的には上杉謙信の父として知られるが、当社勧請とは時代が合わず、誤って伝えられたものか。

為宗の弟である長尾定景が家を継いだ。鎌倉市植木の久成寺には定景一族の墓が残る。定景は三浦義村に仕え、源実朝を暗殺した公暁を討ち取ったことで知られる。

当地は長尾氏の館のあったところで、長尾砦址などとも呼ばれる。戦国時代の永正9年(1512年)、玉縄城の出城として造成・整備され、長尾城とも呼ばれた。

現在では、長尾氏の居館跡とも呼ばれるが、その整備と前後する、永正年間(1504年-1521年)、当社は社領として2段を有していたと伝わる。

長尾氏ゆかりの地で、上杉謙信にとってもルーツとなる地であることは間違いない。永禄4年(1561年)、謙信は関東管領上杉憲政から上杉を相続し、長尾景虎から名を改めた。

当社は長尾郷長尾台邑の鎮守として崇敬された。明治6年(1873年)12月、村社に列し、明治22年(1889年)8月12日には近隣の無格社十二天社(大国主命)を合祀した。

大正12年(1923年)の関東大震災により社殿が大破、昭和2年(1927年)2月25日に本殿と拝殿を新築した。昭和60年(1985年)9月7日、本殿と拝殿を改築した。

例祭は10月第1日曜日で例大祭。境内社に稲荷神社がある。

【ご利益】
諸願成就、病気平癒、縁結び、地域安全
御霊神社 神奈川県横浜市栄区長尾台
【関連記事】
神奈川県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、神奈川県に鎮座している神社の一覧