江戸前期建立の旧高谷村の鎮守、村岡七福神の大黒天、貝帰坂の碑
[住所]神奈川県藤沢市村岡東3-28
[電話]045-311-5401 - 大綱金刀比羅神社
大神宮(だいじんぐう)は、神奈川県藤沢市村岡東にある神社。高谷大神宮とも。現在は大綱金刀比羅神社の兼務社である。御朱印の有無は不明。
江戸時代前期の慶安3年(1650年)、当時の高谷部落約10軒の農民が、五穀豊穣と郷土の安寧を祈念し、建立したのが起源。
御祭神は天照皇大神。幕末の嘉永4年(1851年)、改築した。平成2年(1990年)には再建が計画され、平成5年(1993年)に完成した。
例祭はもとは11月15日だったが、農繁期と重なるため、9月15日に変更され、現在は9月第2日曜日になっている。
高台にあり、木立と急石段がまさしく鎮守のイメージ。階段を登ること58段、広くはないが、境内が開ける。社殿は、正面からだと入り母屋作り。
境内には、相州村岡七福神の大黒天の石像が祀られている。石段中程の途中に石塔、稲荷社がある。
貝帰坂(かいがら坂)と呼ばれた坂を改修した時の「貝帰坂貴信連盟碑」記念碑が石段下にある。明治28年(1895年)、寄進者を募って坂道の改修工事が行われた。
このあたりは砂岩地帯でその断層には無数の貝殻が見つかる。貝塚ではなく、数千年前まで海だった時の名残で、これが坂の名称の由来。
向谷戸集落の東方約100メートルほどの坂道で、大船方面より藤沢に通じる。昔は丘陵を越える急勾配のため、通行が難渋で、坂の登りを諦めて引き返す人があったほど。
なお、市内の神宮といえば、神明宮・烏森神社とも呼ばれる皇大神宮、時に鵠沼皇大神宮と呼ばれる神社が有名ではあるが、当社とは別の神社。
【ご利益】
開運招福、身体壮健、地域安全

【関連記事】
・相州村岡七福神 - 神奈川県藤沢市、坂東八平氏の祖・平良文ゆかりの地を巡る
・神奈川県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、神奈川県に鎮座している神社の一覧
[電話]045-311-5401 - 大綱金刀比羅神社
大神宮(だいじんぐう)は、神奈川県藤沢市村岡東にある神社。高谷大神宮とも。現在は大綱金刀比羅神社の兼務社である。御朱印の有無は不明。
江戸時代前期の慶安3年(1650年)、当時の高谷部落約10軒の農民が、五穀豊穣と郷土の安寧を祈念し、建立したのが起源。
御祭神は天照皇大神。幕末の嘉永4年(1851年)、改築した。平成2年(1990年)には再建が計画され、平成5年(1993年)に完成した。
例祭はもとは11月15日だったが、農繁期と重なるため、9月15日に変更され、現在は9月第2日曜日になっている。
高台にあり、木立と急石段がまさしく鎮守のイメージ。階段を登ること58段、広くはないが、境内が開ける。社殿は、正面からだと入り母屋作り。
境内には、相州村岡七福神の大黒天の石像が祀られている。石段中程の途中に石塔、稲荷社がある。
貝帰坂(かいがら坂)と呼ばれた坂を改修した時の「貝帰坂貴信連盟碑」記念碑が石段下にある。明治28年(1895年)、寄進者を募って坂道の改修工事が行われた。
このあたりは砂岩地帯でその断層には無数の貝殻が見つかる。貝塚ではなく、数千年前まで海だった時の名残で、これが坂の名称の由来。
向谷戸集落の東方約100メートルほどの坂道で、大船方面より藤沢に通じる。昔は丘陵を越える急勾配のため、通行が難渋で、坂の登りを諦めて引き返す人があったほど。
なお、市内の神宮といえば、神明宮・烏森神社とも呼ばれる皇大神宮、時に鵠沼皇大神宮と呼ばれる神社が有名ではあるが、当社とは別の神社。
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