源頼朝が勧請、太田道灌が再興、江戸期神楽坂の中心、銀杏伝承
[住所]東京都新宿区若宮町18
[電話]03-3269-7925

神楽坂若宮八幡神社(かぐらざかわかみやはちまんじんじゃ)は、東京都新宿区若宮町にある神社。近代社格では村社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

平安時代末期の文治5年(1189年)7月、奥州・藤原泰衝の征伐、いわゆる奥州合戦に向かった源頼朝は、当地で下馬し宿願した。

9月には藤原泰衝を討ち奥州を平定、頼朝は鎌倉に戻った後、ここに鎌倉鶴岡八幡宮の御分霊を勧請し、奉斎した。

当初は若宮として第16代仁徳天皇を祀っていたが、後に八幡神として応神天皇が祀られるようになったと伝えられる。

その後一時衰退したが、室町時代の文明年間(1469年-1487年)、太田道灌が築城した千代田城後の江戸城鎮護のため再興された。

当時の神領は広大で、『江戸名所図会』にもその様子が描かれている。別当は光明山普門院、別当開基は元隠だった。

江戸時代は、当社が神楽坂の中心だったとされる。「神楽坂」という地名の由来として、当社で奏でられる神楽の音色がこの坂まで聞こえたから、という説がある。

ただし、異説も多く、穴八幡宮津久戸明神に由来する説もある。

明治2年(1869年)、神仏混合禁止今により現社号に改称、境内は黒塀で囲まれ木戸があり、楠と銀杏の大木があったという。

この銀杏(イチョウ)の大木はかつて一度も実をつけたことがなかった。しかし、明治21年(1888年)、中断していた氏子祭を町内有志が再興した。

盛大に祭礼を催したところ、不思議にも銀杏が多数の見事な実をつけたと伝わる。以来、氏子祭は欠かさず行われるようになったという。

明治20年(1887年)ごろには若宮小路と呼ばれる小道があり、これは庾嶺坂と当社を結ぶ小路だった。大正12年(1923年)9月1日の関東大震災で黒塀は倒壊。

昭和20年(1945年)5月25日、空襲により、御神体は持ち出され無事だったものの、社殿など施設一切を焼失した。

戦後の昭和22年(1947年)、乃木神社の古材を利用して仮殿を造営して復興、昭和34年(1959年)に再建された。現社殿は平成11年(1999年)の造営である。

例祭は9月15日。若宮町自治会が運営し、福引、ヨーヨー、ポップコーンなどの模擬店が並び、多くの子供たちで賑わう。

【ご利益】
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神楽坂若宮八幡神社 東京都新宿区若宮町
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神楽坂若宮八幡神社 東京都新宿区若宮町の御朱印