新宿御苑一帯の内藤清成が談山と春日を勧請、駿馬塚と三菱鉛筆
[住所]東京都新宿区内藤町1-8
[電話]03-3351-1203
多武峯内藤神社(とおのみねないとうじんじゃ)は、東京都新宿区内藤町にある神社。新宿御苑の東側、すぐ近くに鎮座している。近代社格では無格社。御朱印の有無は不明。
もとは江戸時代初期の重臣で、関東総奉行・江戸町奉行・老中などを歴任した内藤清成の邸内社だった。江戸時代前期の寛永年間(1634年-1643年)の創建と伝わる。
徳川家康が江戸移封の際、鉄砲隊を率いて江戸入りの先陣を務めた内藤清成は、天正18年(1590年)9月、家康から現在地近辺に20万坪あまりにも及ぶ広大な屋敷地を拝領した。
清成はこの屋敷地内に家祖である藤原鎌足を祀った内藤神社を創建し、藤原氏の氏神である奈良の春日大社の御分霊を勧請、合祀した。
主祭神は藤原鎌足公。相殿に武甕槌命・経津主神・天児屋根神・姫神・内藤家歴代祖霊を祀る。明治維新後、内藤家の屋敷地は明治政府に上納され、内藤新宿試験場の用地となった。
明治12年(1879年)、同地は宮内省所管の新宿植物御苑に変更され、明治19年(1886年)には御苑内に残されていた当社が現在地へ遷された。
また、当社付近は、明治20年(1887年)に佐賀藩出身の眞崎仁六が眞崎鉛筆製造所を興し、鉛筆の製造を始めたところ。現在の三菱鉛筆株式会社。当社境内には鉛筆の碑がある。
玉川上水の分水で、現在は暗渠になっている渋谷川を利用した水車を動力として、鉛筆が作られた。この製造所は、30年後の大正5年(1916年)に品川区東大井に移転した。
昭和42年(1967年)5月、もとは武州多武峯神社などと称していたが、現社号に改称した。「多武峯」は奈良県桜井市にある山で、談山神社が鎮座する。
談山大明神・談山権現とも呼ばれる鎌足の総本宮ともいうべき談山神社であるが、当社も談山神社を勧請したとも考えられている。
例祭は5月第3土・日曜日で例大祭。境内に多くの露店が出て、輪投げ大会や里神楽の奉納などが行われ、神輿や曳太鼓の巡行がある。
境内社に、稲荷神社があり、倉稲魂命を主祭神に、相殿に八幡大菩薩・大国主神(大黒天)・市杵嶋姫命(弁財天)を祀る。
境内には区登録有形文化財の駿馬塚がある。家康が内藤清成に領地を与える際の「駿馬伝説」にまつわる碑。
家康は現在の新宿御苑一帯を示し、「馬でひと息に回れるだけの土地を与える」と清成に語ったという。
清成の乗った駿馬は、千駄ヶ谷から代々木・大久保・四谷に至る広大な範囲を走ったが、疲れ果て死んでしまったため、大樫の下に埋葬された。
江戸時代後期の文化13年(1816年)8月、内藤家が保有していた森林の管理役中家休昌と木下正敷によって、樫の古木の跡に塚が造られ、石碑が建立された。
明治5年(1872年)9月、碑は現在地に移された。隣接する駿馬舎には内藤清成の愛馬である白馬の木像が収められている。
境内には、寛政5年(1793年)に石工の弥助により建立された狛犬がある。
【ご利益】
一族・子孫繁栄、産業振興、事業成功、交渉成功

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多武峯内藤神社(とおのみねないとうじんじゃ)は、東京都新宿区内藤町にある神社。新宿御苑の東側、すぐ近くに鎮座している。近代社格では無格社。御朱印の有無は不明。
もとは江戸時代初期の重臣で、関東総奉行・江戸町奉行・老中などを歴任した内藤清成の邸内社だった。江戸時代前期の寛永年間(1634年-1643年)の創建と伝わる。
徳川家康が江戸移封の際、鉄砲隊を率いて江戸入りの先陣を務めた内藤清成は、天正18年(1590年)9月、家康から現在地近辺に20万坪あまりにも及ぶ広大な屋敷地を拝領した。
清成はこの屋敷地内に家祖である藤原鎌足を祀った内藤神社を創建し、藤原氏の氏神である奈良の春日大社の御分霊を勧請、合祀した。
主祭神は藤原鎌足公。相殿に武甕槌命・経津主神・天児屋根神・姫神・内藤家歴代祖霊を祀る。明治維新後、内藤家の屋敷地は明治政府に上納され、内藤新宿試験場の用地となった。
明治12年(1879年)、同地は宮内省所管の新宿植物御苑に変更され、明治19年(1886年)には御苑内に残されていた当社が現在地へ遷された。
また、当社付近は、明治20年(1887年)に佐賀藩出身の眞崎仁六が眞崎鉛筆製造所を興し、鉛筆の製造を始めたところ。現在の三菱鉛筆株式会社。当社境内には鉛筆の碑がある。
玉川上水の分水で、現在は暗渠になっている渋谷川を利用した水車を動力として、鉛筆が作られた。この製造所は、30年後の大正5年(1916年)に品川区東大井に移転した。
昭和42年(1967年)5月、もとは武州多武峯神社などと称していたが、現社号に改称した。「多武峯」は奈良県桜井市にある山で、談山神社が鎮座する。
談山大明神・談山権現とも呼ばれる鎌足の総本宮ともいうべき談山神社であるが、当社も談山神社を勧請したとも考えられている。
例祭は5月第3土・日曜日で例大祭。境内に多くの露店が出て、輪投げ大会や里神楽の奉納などが行われ、神輿や曳太鼓の巡行がある。
境内社に、稲荷神社があり、倉稲魂命を主祭神に、相殿に八幡大菩薩・大国主神(大黒天)・市杵嶋姫命(弁財天)を祀る。
境内には区登録有形文化財の駿馬塚がある。家康が内藤清成に領地を与える際の「駿馬伝説」にまつわる碑。
家康は現在の新宿御苑一帯を示し、「馬でひと息に回れるだけの土地を与える」と清成に語ったという。
清成の乗った駿馬は、千駄ヶ谷から代々木・大久保・四谷に至る広大な範囲を走ったが、疲れ果て死んでしまったため、大樫の下に埋葬された。
江戸時代後期の文化13年(1816年)8月、内藤家が保有していた森林の管理役中家休昌と木下正敷によって、樫の古木の跡に塚が造られ、石碑が建立された。
明治5年(1872年)9月、碑は現在地に移された。隣接する駿馬舎には内藤清成の愛馬である白馬の木像が収められている。
境内には、寛政5年(1793年)に石工の弥助により建立された狛犬がある。
【ご利益】
一族・子孫繁栄、産業振興、事業成功、交渉成功

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