1月13日に備射祭、多くの関連文化財伝わる、江戸から近代の社殿
[住所]東京都新宿区中井2-29-16
[電話]03-3950-4138
中井御霊神社(なかいごりょうじんじゃ)は、東京都新宿区中井にある神社。中野区との境である神田川の近くに鎮座する。近代社格では無格社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
第12代景行天皇40年、日本武尊の東征に従った常陸国鹿島神宮の神裔の一部がこのあたりを統治するようになり、祖神である武甕槌命を祀ったことを起源とする。
また平安時代、源義家の奥州征伐の後、当地に源氏の一族が居住するようになり、故郷の大和国宇陀郡の御霊神社を勧請・合祀したという。
現在の奈良県五條市霊安寺町にある御霊神社と思われるが、現在の当社神は八幡系であり、御祭神としてはあまりかかわりがなくなっている。
ただし、五條市霊安寺町は旧宇智郡であって、宇陀郡ではない。旧宇陀郡に相当する地域には現在、御霊神社は見当たらない。
一方、『東京府豊玉郡誌』では、徳川家康が江戸に入り、葛谷村の地を割いて旗本に給付した際、葛谷御霊神社を中井に分祀したとの説を掲載している。
どちらにしろ、古くから落合村小名中井の鎮守であり、『新編武蔵風土記稿』にも「御霊社」とあり、「祭神は神功皇后なり」「又安産の腹帯を出す」などとある。
同書では、特に「例祭9月なり是をびしや祭と号す」とある。現在に続く備射祭が特に有名だったことがわかる。当時の別当は最勝寺。
古くは五霊社・五神之宮などとも称したたという。御祭神は、仲哀天皇・応神天皇・神功皇后・仁徳天皇・武甕槌命。
社殿は、本殿・幣殿・拝殿で構成された権現造り形式で、区指定有形文化財。流造りの本殿は、享保3年(1718年)から文化7年(1810年)の造営と考えられている。
拝殿は明治29年(1896年)以前の造営で、入母屋造り、幣殿の記録はないが大正時代(1912年-1926年)の建築と伝わる。
葛谷御霊神社と同様に、毎年1月13日午前中に備射祭(びしゃまつり)が行われる。歩射で的を射て、その年の豊凶を占い、魔を祓い豊作や安産を祈願する行事。
やはり、区指定無形民俗文化財。この備射祭で使用された弓弦は、安産の御守として希望者に授与される。
この時に使用する的を描く際、コンパスのように用いる分木(ぶんぎ)という道具も2本保存されており、区指定有形民俗文化財。
それぞれ戦国時代の永禄6年(1563年)、江戸時代初期の元和6年(1620年)の年紀があり、江戸時代以前にはこの祭が行われていたことを示している。
また、江戸時代後期の文政13年(1830年)に奉納され、当時の備射祭の様子が描かれた「備射祭絵馬」も現存し、区の有形民俗文化財に指定されている。
区指定文化財として他に、雨乞のむしろ旗がある。これは幕末のもので、農民が雨乞いの行事で用いたもの。「竜王神」と墨書され、干害に備えて竜神に降雨を願った。
境内社に、稲荷神社、三峯社と八雲社の合祀殿がある。なお、境内には計三対の狛犬がある。そのうちの一つは、江戸時代中期の正徳5年(1715年)建立のもので、現存するものでは区内最古。
【ご利益】
安産、厄災除け、武運長久・勝運、五穀豊穣

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中井御霊神社(なかいごりょうじんじゃ)は、東京都新宿区中井にある神社。中野区との境である神田川の近くに鎮座する。近代社格では無格社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
第12代景行天皇40年、日本武尊の東征に従った常陸国鹿島神宮の神裔の一部がこのあたりを統治するようになり、祖神である武甕槌命を祀ったことを起源とする。
また平安時代、源義家の奥州征伐の後、当地に源氏の一族が居住するようになり、故郷の大和国宇陀郡の御霊神社を勧請・合祀したという。
現在の奈良県五條市霊安寺町にある御霊神社と思われるが、現在の当社神は八幡系であり、御祭神としてはあまりかかわりがなくなっている。
ただし、五條市霊安寺町は旧宇智郡であって、宇陀郡ではない。旧宇陀郡に相当する地域には現在、御霊神社は見当たらない。
一方、『東京府豊玉郡誌』では、徳川家康が江戸に入り、葛谷村の地を割いて旗本に給付した際、葛谷御霊神社を中井に分祀したとの説を掲載している。
どちらにしろ、古くから落合村小名中井の鎮守であり、『新編武蔵風土記稿』にも「御霊社」とあり、「祭神は神功皇后なり」「又安産の腹帯を出す」などとある。
同書では、特に「例祭9月なり是をびしや祭と号す」とある。現在に続く備射祭が特に有名だったことがわかる。当時の別当は最勝寺。
古くは五霊社・五神之宮などとも称したたという。御祭神は、仲哀天皇・応神天皇・神功皇后・仁徳天皇・武甕槌命。
社殿は、本殿・幣殿・拝殿で構成された権現造り形式で、区指定有形文化財。流造りの本殿は、享保3年(1718年)から文化7年(1810年)の造営と考えられている。
拝殿は明治29年(1896年)以前の造営で、入母屋造り、幣殿の記録はないが大正時代(1912年-1926年)の建築と伝わる。
葛谷御霊神社と同様に、毎年1月13日午前中に備射祭(びしゃまつり)が行われる。歩射で的を射て、その年の豊凶を占い、魔を祓い豊作や安産を祈願する行事。
やはり、区指定無形民俗文化財。この備射祭で使用された弓弦は、安産の御守として希望者に授与される。
この時に使用する的を描く際、コンパスのように用いる分木(ぶんぎ)という道具も2本保存されており、区指定有形民俗文化財。
それぞれ戦国時代の永禄6年(1563年)、江戸時代初期の元和6年(1620年)の年紀があり、江戸時代以前にはこの祭が行われていたことを示している。
また、江戸時代後期の文政13年(1830年)に奉納され、当時の備射祭の様子が描かれた「備射祭絵馬」も現存し、区の有形民俗文化財に指定されている。
区指定文化財として他に、雨乞のむしろ旗がある。これは幕末のもので、農民が雨乞いの行事で用いたもの。「竜王神」と墨書され、干害に備えて竜神に降雨を願った。
境内社に、稲荷神社、三峯社と八雲社の合祀殿がある。なお、境内には計三対の狛犬がある。そのうちの一つは、江戸時代中期の正徳5年(1715年)建立のもので、現存するものでは区内最古。
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