奥州平定の義家に従った一族が勧請、1月に備謝祭、ゆかりの力石
[住所]東京都新宿区西落合2-17-7
[電話]03-3951-8512

葛谷御霊神社(くずがやごりょうじんじゃ)は、東京都新宿区西落合にある神社。哲学堂公園の東に鎮座する。近代社格では無格社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

平安時代の寛治年間(1087年-1094年)、鎮守府将軍源義家による奥州の討伐、いわゆる後三年の役の際、旧山城国桂(葛)の里の一族が義家の軍に従った。

一族は常に氏神八幡宮に勝利を祈り、無事奥州は平定された。その後、一族が京への帰還の途次、地形・風土の似た落合の地に留まった。

そこでこの地に、氏神八幡宮(仲哀天皇応神天皇)および神功皇后武内宿禰を勧請し、御霊社と称した。

このことから、この一帯が葛ヶ谷村と称されるようになった。当社の神紋も「葛の葉に三つ巴」で、現在も拝殿の扉や燈籠、神輿蔵などで用いられている。

別の説では、安倍頼時が討伐された前九年の役の際とするものもある。その場合、源義家ではなく、その父である源頼義となるか。

『東京府豊玉郡誌』によれば、徳川家康が江戸に入り、葛谷村の地を割いて旗本に給付した際、当社を中井に分祀して産土神としたという所伝を載せている。

いわゆる中井御霊神社である。当社も御霊神社とはいえ八幡信仰の社だが、中井御霊神社も当社と同じ形態という共通点はある。

旧葛ヶ谷村の鎮守で、旧別当は猫寺として有名な西光山自性院無量寺(現 西落合1-11-23)だった。

『新編武蔵風土記稿』葛ヶ谷村の条にも「御霊社」とあり、「村の鎮守なり例祭正月十三日自性院持下同じ 末社。牛頭天王、八幡」とある。

現在の社殿は、昭和46年(1971年)に再建されたもの。左隣のアパートと一体化された社務所は昭和56年(1981年)に新築された。

中井御霊神社と同様に、毎年1月13日午前中に備謝祭が行われる。当社は備射ではなく、備謝。年の豊凶を占う正月の弓神事で、区指定無形民俗文化財。

「おびしゃ」と呼ばれ、高砂や千秋楽などの目出度い謡で年番渡しが終わった後、主役の年番が20メートル先の鳥居にかけた、三重丸にからすを描いた的を射る。

明治時代には祭当日に村の若者が力石を持ち上げて、力を競い合っていたという。神楽殿横の耕地整理記念碑の周辺に集められている。区指定文化財。

現在では、区内において中井御霊神社と当社のみで行われており、都内でも大田区東六郷の六郷神社のわずか3ヶ所に伝わっているにすぎないという。

社殿右脇には境内社として、弁財天が祀られ、後方には石像もある厳島神社、八幡社・田中稲荷社・浅間社・疣天神社・三峰社の五社合祀殿がある。

疣天神社はイボ取りの神。疣天神の小石を借り受け、祈りながら患部をさするとイボが取れたという。完治した際には借りた石にひとつ足し二個にして返すのが習わしであった。

また、大黒天が奉られてる祠があり、その前には兎型の狛犬が安置されている。

【ご利益】
五穀豊穣、無病息災、厄災除け、安産
葛谷御霊神社 東京都新宿区西落合
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葛谷御霊神社 東京都新宿区西落合の御朱印