もとは八幡、和耶神社など式内二社を合祀、10月に獅子舞など祭礼
羽浦神社 徳島県阿南市羽ノ浦町中庄千田池32
[住所]徳島県阿南市羽ノ浦町中庄千田池32
[電話]0884-44-6158

羽浦神社(はのうらじんじゃ)は、徳島県阿南市羽ノ浦町中庄千田池にある神社。近代社格では郷社。御朱印の有無は不明。

もとは八幡神社。創建年代は不詳だが、安土桃山時代の天正年間(1573年-1593年)、阿波徳島藩祖蜂須賀家政が国内平穏、家運長久、鷹狩り安全のため参拝したと伝わる。

江戸時代初期の慶長8年(1603年)、徳島藩初代藩主である蜂須賀至鎮が蜂須賀家代々の祈願所に指定した。

その後、3代藩主蜂須賀光隆は祈願した際、社紋に鷹羽ねの打ち違えを用いるように指示し、爾来国主領主の祈願が相次いだ。

明治になり、村社に列した。御祭神は、誉田別命足仲彦命気長足姫命

明治43年(1910年)、中庄村、宮倉村に祀られていた和耶神社、和奈佐意富曾神社など23社を合祀して、現社号に改称した。

以来、羽ノ浦の里の総氏神さんとして親しまれ、地域の守り神として、また精神共同体の中心として、人々の崇敬も篤く、昭和12年(1937年)には郷社に昇格した。

合祀した和耶神社は、『延喜式』巻9・10神名帳 南海道神 阿波国 那賀郡「和耶神社」に比定される式内社(小社)。御祭神は、淡夜別命。

また、和奈佐意富曾神社も「和奈佐意富曾神社」に比定される式内社(小社)の論社。御祭神は、和奈佐毘古命・和奈佐毘売命。

和耶神社の古社地は能路寺山といい、現在地から西1キロほどのある能路寺の近辺で、周囲には古墳もあるという。

「和耶」は「和射」の誤写であるという説があり、日和佐地方からの遷座ともされる。また、「和奈佐」の誤写とも言われ、同じく合祀された和奈佐意富曾神社との関連も指摘される。

社伝によれば、和耶神社は節分の日には村民の人々が相集まり、各自の厄除け、災難除け祈願の追儺(ついな)神事が盛大に執り行われていた。

なお、一説に、式内「和耶神社」を継承するものとして、那賀郡羽ノ浦町西春日野に鎮座する宮倉神社がある。

他の合祀社は、宮倉村では村社国中神社(大穴牟遅命国常立命少彦名命彌都波能売命)、無格社春日神社(天児屋根命)。

また、和耶神社境内の無格社である八坂神社(須佐之男命)、今宮八幡神社(誉田別命)、吉野神社(天児屋根命)、稲倉穂神社(稲倉魂神)、地神社(天照皇大神・大己貴命・少彦名命・埴安姫命・稲倉魂命)。

春日神社境内の無格社である八坂神社(建速須佐之男命)、住吉神社(上筒之男命中筒之男命底筒之男命)、宇多神社(宇麻志麻遅命)、大山積神社(大山祇命)。

中庄村では、千田池の無格社である地神社(天照皇大神・大己貴命・少彦名命・稲倉魂命・埴安姫命)、事代主神社(事代主命)、野神社(野槌命)、天神社(菅原道真命)。

中庄村字高田の貴船神社(水速女命)、高田神社(大国主命)、那東原の厳島神社(市杵島比売命)、トキ内の住吉神社(綿津見命手力男命)、中塚谷の野神社(野槌命)。

例祭は、もとは10月15日で、現在は10月第2金・土・日曜日。明治8年(1875年)ごろから那東原の弁財天(厳島神社)の祭りが悪魔祓いとして始められ、合祀後に拡大。

子供が拍子を打ち、青年によって舞い、舞は、獅子舞、ね舞、雲舞、谷渡りの舞、天井舞の五つの型に別れ、頭部と尾部の2人で舞う、全国的に珍しいの。

郷土芸能として、現在は市の民俗無形文化財に指定されている。この獅子舞のほか、だんじり4台が祇園囃子などの競演、花火もある。

なお、式内社「和奈佐意富曾神社」の論社は他に、海部郡海陽町の和奈佐意富曾神社、那賀郡那賀町の蛭子神社がある。

【ご利益】
厄災除け、無病息災、悪疫退散、安産
羽浦神社 徳島県阿南市羽ノ浦町中庄千田池
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