式内社「建比売神社」、奈良期前の大宝年間の創立とも、安産の神
[住所]徳島県阿南市宝田町川原64
[電話]-
古烏神社(こがらすじんじゃ、小烏神社)は、徳島県阿南市宝田町川原にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 南海道神 阿波国 那賀郡「建比売神社/建比賣神社」に比定される式内社(小社)。現在は、正八幡宮の境外末社である。
創祀年代は不詳。一説に、大宝2年(702年)とも。御祭神は建比売命。『阿波國式内社考』では高姫、あるいは下照姫命、埴安比賣・建島女祖神などとも。
建島女祖神であれば、小松島市中田町に建嶋女祖命神社がある。当社御祭神については他に、豊葦建姫命、高比売、大倉比売などの説がある。
いずれにせよ、下照姫命である可能性も高く、阿波に根付く、出雲系の神々を祀る社の一社なのかもしれない。
『阿波志』に、「建比賣祠延喜式亦小祠と為す、曰く荒井下村川瀬崎小烏祠即ち是を云ふ」とある。川原の産土神で、安産の神として霊験顕著であるという。
近世には「小烏明神」と呼ばれ、近くには古小烏町の地名もある。明治3年(1870年)、式内社名である建比売神社に改名、その後、現社名に変わったようだ。
明治30年(1897年)、火災により焼失、翌明治31年(1898年)、あるいは明治32年(1899年)に再建された。例祭は10月25日。
現在地は那賀川デルタの末端、あるいは中洲であり、度々の洪水で社殿や宝物を失ったことは想像に難くなく、実際、そのような伝承もある。
那賀川は明治以降になっても洪水による堤坊決壊があり、おそらく当社地の変遷はあったと思われるが、詳細は不明。
鳥居は白木鳥居で、10年ごとに再建される。拝殿内に烏紋様の幕が掛かっている。また、拝殿内には小さな神輿が安置されている。
【ご利益】
子宝・安産、厄災除け、家内安全、地域安全

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『延喜式』巻9・10神名帳 南海道神 阿波国 那賀郡「建比売神社/建比賣神社」に比定される式内社(小社)。現在は、正八幡宮の境外末社である。
創祀年代は不詳。一説に、大宝2年(702年)とも。御祭神は建比売命。『阿波國式内社考』では高姫、あるいは下照姫命、埴安比賣・建島女祖神などとも。
建島女祖神であれば、小松島市中田町に建嶋女祖命神社がある。当社御祭神については他に、豊葦建姫命、高比売、大倉比売などの説がある。
いずれにせよ、下照姫命である可能性も高く、阿波に根付く、出雲系の神々を祀る社の一社なのかもしれない。
『阿波志』に、「建比賣祠延喜式亦小祠と為す、曰く荒井下村川瀬崎小烏祠即ち是を云ふ」とある。川原の産土神で、安産の神として霊験顕著であるという。
近世には「小烏明神」と呼ばれ、近くには古小烏町の地名もある。明治3年(1870年)、式内社名である建比売神社に改名、その後、現社名に変わったようだ。
明治30年(1897年)、火災により焼失、翌明治31年(1898年)、あるいは明治32年(1899年)に再建された。例祭は10月25日。
現在地は那賀川デルタの末端、あるいは中洲であり、度々の洪水で社殿や宝物を失ったことは想像に難くなく、実際、そのような伝承もある。
那賀川は明治以降になっても洪水による堤坊決壊があり、おそらく当社地の変遷はあったと思われるが、詳細は不明。
鳥居は白木鳥居で、10年ごとに再建される。拝殿内に烏紋様の幕が掛かっている。また、拝殿内には小さな神輿が安置されている。
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