もと護王権現の式内社「阿佐多知比古神社」、枯れない「お亀の池」
[住所]徳島県徳島市飯谷町字小竹101
[電話]-
朝立彦神社(あさだちひこじんじゃ)は、徳島県徳島市飯谷町にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 南海道神 阿波国 勝浦郡「阿佐多知比古神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。
創建年代は不詳。現在の御祭神は、豊玉毘古命・豊玉姫命。式内社名通りなら、阿佐多知比古神となる。
尾根の上にある境内の入り口正面に社殿があるが、右手から社殿の裏へ出ると、石灰岩の崖に出る。いわゆる、大盤石。
その岩に、小さな水溜りがあり、「お亀の池」と呼ばれる。水が年中涸れることがなく、祈雨の祭祀が行われていた。「小竹のお甕」とも、「応潮泉御甕」とも。
御祭神について、『徴古雑抄』では、大国主命六世孫の阿田賀多須命としている。また、「お亀」は、靇(オカミ)であり、龍神とする説もある。
伴信友の『神名帳考證』では、和多津見豊玉彦命で、これは、水の涸れない「お亀の池」が、満潮時には水が外に溢れるという伝承から、海神の宿る岩と考えられたもの。
この森に人が立ち入ると、黒雲が起こり、雷が鳴り、山河を轟かす風雨になるという。夕立は、夕方のにわか雨で、朝立は、早朝の雨。これが社名の起こりとも。
『阿波志』あるいは『阿府志』には、「和多津見豊玉彦命を祭る。飯谷村に在り、俗に 権現と云う」という。
『寛保改神社帳』には「飯谷村護王大権現 別当飯谷村醍醐寺」とある。もとは護王権現と称したが、明治4年(1871年)に現社号に改称した。
例祭は10月4日で秋季大祭。神紋は丸に右一つ巴。徳島毎日新聞社の社号票には、「推奨縣下 十社」とある。
社前に、江戸時代中期の安永6年(1777年)銘のある石製燈明台がある。
【ご利益】
祈雨・天候、リフレッシュ、身体壮健

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・徳島県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、徳島県に鎮座している神社の一覧
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朝立彦神社(あさだちひこじんじゃ)は、徳島県徳島市飯谷町にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 南海道神 阿波国 勝浦郡「阿佐多知比古神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。
創建年代は不詳。現在の御祭神は、豊玉毘古命・豊玉姫命。式内社名通りなら、阿佐多知比古神となる。
尾根の上にある境内の入り口正面に社殿があるが、右手から社殿の裏へ出ると、石灰岩の崖に出る。いわゆる、大盤石。
その岩に、小さな水溜りがあり、「お亀の池」と呼ばれる。水が年中涸れることがなく、祈雨の祭祀が行われていた。「小竹のお甕」とも、「応潮泉御甕」とも。
御祭神について、『徴古雑抄』では、大国主命六世孫の阿田賀多須命としている。また、「お亀」は、靇(オカミ)であり、龍神とする説もある。
伴信友の『神名帳考證』では、和多津見豊玉彦命で、これは、水の涸れない「お亀の池」が、満潮時には水が外に溢れるという伝承から、海神の宿る岩と考えられたもの。
この森に人が立ち入ると、黒雲が起こり、雷が鳴り、山河を轟かす風雨になるという。夕立は、夕方のにわか雨で、朝立は、早朝の雨。これが社名の起こりとも。
『阿波志』あるいは『阿府志』には、「和多津見豊玉彦命を祭る。飯谷村に在り、俗に 権現と云う」という。
『寛保改神社帳』には「飯谷村護王大権現 別当飯谷村醍醐寺」とある。もとは護王権現と称したが、明治4年(1871年)に現社号に改称した。
例祭は10月4日で秋季大祭。神紋は丸に右一つ巴。徳島毎日新聞社の社号票には、「推奨縣下 十社」とある。
社前に、江戸時代中期の安永6年(1777年)銘のある石製燈明台がある。
【ご利益】
祈雨・天候、リフレッシュ、身体壮健

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