蘇我・葛城・物部氏の祖である日命の姉弟を祀る式内社、消滅古墳も
[住所]徳島県吉野川市川島町桑村1635
[電話]-
伊加加志神社(いかがしじんじゃ)は、徳島県吉野川市川島町桑村にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 南海道神 阿波国 麻殖郡「伊加加志神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。
創祀年代は不詳。御祭神は第9代開化天皇の皇后で、第10代崇神天皇の母である伊加賀色許売命と、その弟である伊加賀色許雄命。
両者とも『古事記』に記載されているが、姉弟関係の記述はない。いずれも饒速日命六世孫とされる。
伊迦賀色許売命は第8代孝元天皇の妃の一人でもあり、孫に建内宿禰がいる。つまり、蘇我氏、葛城氏、物部氏の祖にもなる。
当社の西の学字近久には13基の古墳があり、近くには、鳶ヶ巣古墳群、峯八古墳群などもあったが、現在までにほとんどが消滅している。
伊加賀色許売命は俗称を日命(ひのみこと)といい、当社は明治までは、日命大明神と称していた。江戸時代の『阿府志』には、下記のようにある。
昭和初期まで小さな祠が祀ってあったというが、いずれかの時期に現在地に遷座したと考えられている。
現在旧地は水没して川になっているが、土地の人々は現在でも吉野川ぶちの大きな竹藪のあるところを、「イカガシ」と呼ぶ。
昔から神地・神戸があり、明治3年(1870年)11月には民政庁より玄米5石、さらに幣帛が与えられていたという。
現社号に改称し、明治4年(1871年)5月、郷社に列した。現在は天照大神も併せて祀る。例祭は10月22日、現在は第3日曜日。末社に事代主神社(事代主神)がある。
なお、やはり孝元天皇の妃の一人である波邇夜須比売を祀るともされる神社として、小松島市中田町に建嶋女祖命神社がある。
【ご利益】
一族・子孫繁栄、諸願成就、開運招福
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伊加加志神社(いかがしじんじゃ)は、徳島県吉野川市川島町桑村にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 南海道神 阿波国 麻殖郡「伊加加志神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。
創祀年代は不詳。御祭神は第9代開化天皇の皇后で、第10代崇神天皇の母である伊加賀色許売命と、その弟である伊加賀色許雄命。
両者とも『古事記』に記載されているが、姉弟関係の記述はない。いずれも饒速日命六世孫とされる。
伊迦賀色許売命は第8代孝元天皇の妃の一人でもあり、孫に建内宿禰がいる。つまり、蘇我氏、葛城氏、物部氏の祖にもなる。
当社の西の学字近久には13基の古墳があり、近くには、鳶ヶ巣古墳群、峯八古墳群などもあったが、現在までにほとんどが消滅している。
伊加賀色許売命は俗称を日命(ひのみこと)といい、当社は明治までは、日命大明神と称していた。江戸時代の『阿府志』には、下記のようにある。
桑村山ノ麓ニアリ、俗ニ日命大明神、今ハ伊加加志大明神、野老傳ヘテ曰ク、桑村ノ河邊ニ大竹藪アリ、ソノ地ヲイカカシト云フ、今ハ川トナリテ、田少シノコレリ、昔シ是地ヨリ山ノ麓エウツシタリト、ソノ時ヨリ日命ト號ス、近代、神官イカカシト改ムモノハ舊名ニヨルナリ現在の鎮座地は、大明神と呼ばれる地だが、当地の北、吉野川近くに、伊賀々志という地がある。もとはその地に鎮座していたという。
昭和初期まで小さな祠が祀ってあったというが、いずれかの時期に現在地に遷座したと考えられている。
現在旧地は水没して川になっているが、土地の人々は現在でも吉野川ぶちの大きな竹藪のあるところを、「イカガシ」と呼ぶ。
昔から神地・神戸があり、明治3年(1870年)11月には民政庁より玄米5石、さらに幣帛が与えられていたという。
現社号に改称し、明治4年(1871年)5月、郷社に列した。現在は天照大神も併せて祀る。例祭は10月22日、現在は第3日曜日。末社に事代主神社(事代主神)がある。
なお、やはり孝元天皇の妃の一人である波邇夜須比売を祀るともされる神社として、小松島市中田町に建嶋女祖命神社がある。
【ご利益】
一族・子孫繁栄、諸願成就、開運招福
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