山間部に海神を祀る、後に熊野権現を勧請、地元では今も十二社神社
[住所]徳島県那賀郡那賀町木頭字内ノ瀬56
[電話]0884-65-2244
宇奈為神社(うないじんじゃ)は、徳島県那賀郡那賀町木頭にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 南海道神 阿波国 那賀郡「宇奈為神社/宇奈爲神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。
創祀年代は不詳。那賀山分では随一の名社で、山間部にあるものの、豊玉彦命・豊玉姫命・玉依姫命の海神が祀られている。
宇奈爲は海居ともされる。また、丹波国丹波郡には比沼麻奈爲神社がある。饒速日命の六世孫に建宇奈比命という神名がある。
平安時代の貞観15年(873年)9月27日、従五位上に叙された。
承暦年間(1077年-1080年)、湯浅権守俊明が紀伊国から当地の領主となり、熊野十二社権現を当社に勧請、その後、十二社権現が主となった。
他の説では、室町時代の文明年間(1469年-1486年)、湯浅権守兼行が勧請したという。湯浅権守は藤原の一族で、兼行も藤原兼行。神紋は「下り藤」である。
いずれにせよ、現在に至るまで、地元では十二社神社と呼ばれており、社前のバス停も「十二社前」になっている。
配置としても、中心には熊野権現があり、拝殿後方には、熊野三社が並び、右手には、八社宮・鎮守社・水天宮・轟祠・牛王祠・王子祠、左手には、阿須賀社がある。
熊野権現では、熊野本宮(伊邪那美命・木津御子命・稲飯命)、熊野新宮(速玉男命・菊理姫命)、熊野那智宮(伊邪那岐命・事解之男命)を祀る。
八社宮では、田心姫命・湍津姫命・市杵島姫命の宗像三女神と、天忍穂耳命・天津彦根命・天穂日命・活津彦根命・熊野櫲樟日命という五男三女命。
他は、鎮守社(岩長姫命)、水天宮(安徳天皇・建礼門院)、轟祠(級長津彦命・級長津姫命)、牛王祠(須佐之男命)、王子祠(日本武尊)、阿須賀社(阿須賀明神)。
本来の当社の社殿は、熊野本宮の後方の高い場所に、一社だけ鎮座しており、奥宮的な扱い。
応永23年(1416年)正月11日の造営の記録が残るが、安土桃山時代の天正10年(1582年)、長宗我部元親が阿波に侵攻した際、黒瀧寺とともに焼き討ちにあった。
幕末の嘉永年間(1848年-1855年)にも火災にあい、古記を失っている。安政3年(1856年)に再建された。
明治3年(1870年)、稲飯神社に改称し、明治5年(1872年)には郷社に列し、明治35年(1902年)、旧社名の現社号に復した。明治40年(1907年)、神饌幣料供進社に指定された。
社宝に、鎌倉時代の乾元2年(1303年)銘のある『那伊勢託宣記』や、神楽鈴、十二社罐子、牛王神符、八咫烏の牛王などがある。
また、宝治(1247年-1249年)と応永(1394年-1428年)の鰐口2個、宝剣一振があり、 付近に十二社七不思議の御靈顕がある。
五角柱の立派な地神塚があり、唐獅子や龍頭がよく見られる中、当社では珍しい象頭の彫刻も存在している。
例祭は10月7日。
【ご利益】
安産、夫婦和合、健康長寿、五穀豊穣
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[電話]0884-65-2244
宇奈為神社(うないじんじゃ)は、徳島県那賀郡那賀町木頭にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式』巻9・10神名帳 南海道神 阿波国 那賀郡「宇奈為神社/宇奈爲神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。
創祀年代は不詳。那賀山分では随一の名社で、山間部にあるものの、豊玉彦命・豊玉姫命・玉依姫命の海神が祀られている。
宇奈爲は海居ともされる。また、丹波国丹波郡には比沼麻奈爲神社がある。饒速日命の六世孫に建宇奈比命という神名がある。
平安時代の貞観15年(873年)9月27日、従五位上に叙された。
承暦年間(1077年-1080年)、湯浅権守俊明が紀伊国から当地の領主となり、熊野十二社権現を当社に勧請、その後、十二社権現が主となった。
他の説では、室町時代の文明年間(1469年-1486年)、湯浅権守兼行が勧請したという。湯浅権守は藤原の一族で、兼行も藤原兼行。神紋は「下り藤」である。
いずれにせよ、現在に至るまで、地元では十二社神社と呼ばれており、社前のバス停も「十二社前」になっている。
配置としても、中心には熊野権現があり、拝殿後方には、熊野三社が並び、右手には、八社宮・鎮守社・水天宮・轟祠・牛王祠・王子祠、左手には、阿須賀社がある。
熊野権現では、熊野本宮(伊邪那美命・木津御子命・稲飯命)、熊野新宮(速玉男命・菊理姫命)、熊野那智宮(伊邪那岐命・事解之男命)を祀る。
八社宮では、田心姫命・湍津姫命・市杵島姫命の宗像三女神と、天忍穂耳命・天津彦根命・天穂日命・活津彦根命・熊野櫲樟日命という五男三女命。
他は、鎮守社(岩長姫命)、水天宮(安徳天皇・建礼門院)、轟祠(級長津彦命・級長津姫命)、牛王祠(須佐之男命)、王子祠(日本武尊)、阿須賀社(阿須賀明神)。
本来の当社の社殿は、熊野本宮の後方の高い場所に、一社だけ鎮座しており、奥宮的な扱い。
応永23年(1416年)正月11日の造営の記録が残るが、安土桃山時代の天正10年(1582年)、長宗我部元親が阿波に侵攻した際、黒瀧寺とともに焼き討ちにあった。
幕末の嘉永年間(1848年-1855年)にも火災にあい、古記を失っている。安政3年(1856年)に再建された。
明治3年(1870年)、稲飯神社に改称し、明治5年(1872年)には郷社に列し、明治35年(1902年)、旧社名の現社号に復した。明治40年(1907年)、神饌幣料供進社に指定された。
社宝に、鎌倉時代の乾元2年(1303年)銘のある『那伊勢託宣記』や、神楽鈴、十二社罐子、牛王神符、八咫烏の牛王などがある。
また、宝治(1247年-1249年)と応永(1394年-1428年)の鰐口2個、宝剣一振があり、 付近に十二社七不思議の御靈顕がある。
五角柱の立派な地神塚があり、唐獅子や龍頭がよく見られる中、当社では珍しい象頭の彫刻も存在している。
例祭は10月7日。
【ご利益】
安産、夫婦和合、健康長寿、五穀豊穣
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