紀貫之が海賊除けに祈願した神、藤原時代の神像や文書が重文
[住所]徳島県阿南市長生町宮内463
[電話]0884-22-3290

八桙神社(やほこじんじゃ/やちほこのじんじゃ)は、徳島県阿南市長生町宮内にある神社。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 南海道神 阿波国 那賀郡「八桙神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。

創祀年代は不詳。上古長ノ国造の祖神として竹原庄要津に鎮座したという。長ノ国は、北方粟ノ国と相対して、阿波民族の源を形成したという。

当社から県道24号を北上し、22号を西進して、勝浦川に出る手前を左に入ると、長氏(ながうじ)とも関連するとされる生夷神社がある。

御祭神は大己貴命。『神名帳考證』『阿波志』には八千矛神とあり、『特撰神名牒』『大日本史』には建御名方命の子、あるいは曾孫にあたる八桙神だという。

生夷神社は勝浦郡の式内社「事代主神社」に比定されるが、阿波郡の式内社「事代主神社」が阿波市市場町伊月の事代主神社

また、名方郡にはやはり式内社である多礽御奈刀弥神社がある。これら式内三社の神々は、当社神の子にあたる。

奈良時代の天平勝宝5年(753年)の創建ともされる。平安時代の元慶7年(883年)、従五位上を授けられた。

『土佐日記』によれば、紀貫之が海賊を避けるため、当社神に祈願した。当時は、この辺りまで入江で、海上・陸上交通の要衝に位置していた。

長寛元年(1163年)9月25日、関白藤原基実(近衛基実)は、後白河上皇の勅令を承け、法華八講料として免租 水田五段と紺紙金泥法華経一部8巻合せて5種12巻を奉納した。

後白河上皇や二条天皇の宝祚や寿命の長久が祈願され、二品家一門の神徳冥助が乞われ、南海水道の海上安全が祈願された。

この時の「二品家政所下文」が附 紺紙金泥法華経8巻として現存する。現存する県内最古の文書とされる。

他に、平安時代(藤原時代)の作とされる木造大己貴命立像、木造男神立像があり、いずれも国の重要文化財に指定されている。

周辺には八桙山古墳群があり、かつて当社から津峯山へつながる参道は桜街道として地域の人々で賑わったとされ、別名「也保古神社」とも言われている。

永井精古『式社略考』には、「古は此村悉く神領なりと言い傳へたり、今に至るまで糞尿をもて肥とすること叶はず、邑中の林竹を葬具に用ひる事ならず、墳墓を築く事ならず」とある。

現在は子どもの安全息災の神としても信仰を集めている。参道に鳥居があり、その向うの森が境内となっていて、その直前にも鳥居がある。

鳥居前には江戸時代後期の天保9年(1838年)8月17日建立の阿波型狛犬。その前には、「皇太子殿下行啓記念碑」がある。

階段を上ると、拝殿があり、その後方にコンクリートの社殿がある。

境内社に、奥山神社(少名彦命)、神戸神社、天神社、山神社、大将軍神社や、いくつかの小祠が祀られている。

【ご利益】
病気平癒、無病息災、病魔退散、身体壮健
八桙神社 徳島県阿南市長生町宮内
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