阿波の長田の地、戎が生まれた社とも、「出雲」におわす地名残る
[住所]徳島県勝浦郡勝浦町沼江田中71
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生夷神社(いくいじんじゃ)は、徳島県勝浦郡勝浦町沼江にある神社。通称はエベッサン。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 南海道神 阿波国 勝浦郡「事代主神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。

古代の勝浦川と那賀川が合流し、大きな沼を形成していた場所とされる。沼江は、粘土質の地層から考え、この沼の水底だったと推測されている。

創祀年代は不詳。阿波南方三郡(勝浦・那賀・海部)に勢力のあった長氏(ながうじ)の祖神である事代主命を祀ったものと考えられている。

式内社で「事代主神社」という社号は、当社を含め、いずれも阿波国で、二社のみ。他には旧阿波郡にあり、現在は阿波市市場町伊月の事代主神社に比定されている。

神戸の『長田神社史』によると、社地の近くに、長田という小字が残っている。

おそらく、摂津国の長田から、事代主命を始祖とする長柄首、あるいは長我孫の一族が阿波に入り、長直と称して、開拓にあたったものだという。

社名の「生夷」は、「イクイナ」の意味とされる。生比奈とも。また、「夷が生まれた」を意味し、夷神としての事代主命の生誕地との説もある。

安土桃山時代、阿波に入国した蜂須賀家政が、「阿波には戎生誕地がある」として、当社を参拝したとも伝えられている。

そうなると、長田の地名のある当地から、逆に摂津国長田に進出し、創祀されたのが長田神社、とも考えられないだろうか。

なお、当社から西へ行き、県道22号線を南下し、24号に入ると、当社御祭神である事代主神の父にあたる大国主命を祀る八桙神社が鎮座する。

また、当社の奥にあたる勝浦町坂本地区に「いずの滝」がある。この「いず」とは出雲のことで、出雲の神にかかわる土地である、と昔から言い伝えられているという。

上勝町に八重路という地名がある。当社御祭神との関係をうかがわせる。その昔、九州・中国から、尾根伝いに当社御祭神を参拝する道があったための命名とも。

また、生夷は、蝦夷を指すのではないかとの指摘もある。往古、王化に従わず、邪法を行い、人を呪詛する蝦夷の俘囚を置いた地で、生夷谷とも。

ただ、それでも、『古事記』に描かれた、やはり呪詛的な行為とされる事代主命による「天の逆手」を連想させる。

当社の東500メートルに大将軍神社があり、その境内には蛭子神社がある。こちらを式内社に比定する向きもある。

当社の例祭は10月2日で、秋季大祭。

【ご利益】
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生夷神社 徳島県勝浦郡勝浦町沼江
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