瑞円寺の門前へと登る細い坂道にあった「お万榎」、女陰型の空洞
[住所]東京都渋谷区千駄ヶ谷2-29
[電話]-
お万榎稲荷神社(おまんえのきいなりじんじゃ)は、東京都渋谷区千駄ヶ谷にある神社。御朱印の有無は不明。
瑞円寺の門前へと登る細い坂道は榎坂(えのきざか)と呼ばれる。この坂に榎の巨木があったことにちなむとされる。
これが「お万榎」と呼ばれる榎の巨木。「お万榎」の名は、仙寿院を創建した、紀州徳川家初代の徳川頼宣の生母であるお万の方がこの木を信仰したことによるという。
お万の方は、瑞円寺住職の叔母でもあったことから、霊木とされたこの榎を度々訪れていたとも伝わる。また、江戸庶民は「古里大明神」という幟を立ててこの榎を祀った。
この榎は、江戸時代初期の大風により折れ、根幹が朽ちて洞穴が開いた後、不思議にも2本の若芽が穴の左右から生じて伸長、人間が逆立ちしたような形になった。
それが女陰のように見えるようになったことから、ある時、この女陰の部分をある男が勝手に自分の女房の女陰の形に加工してしまった。
その後、その女房は婦人病になってしまい、榎の祟りと騒がれ、この男は今度は祠を造って祀り、参拝したところ、女房の病気は治ったという。
以降、性的信仰・性器崇拝の対象となって、「榎稲荷」として親しまれ、内藤新宿周辺の遊女や女将などが多く拝みにやってくるようになった。
昭和12年(1937年)に出版された白石実三の著書には、「『千駄ヶ谷の例の榎』と言っただけで、誰もにやっと笑う」と書かれ、相当有名だった。
それによれば、「女陰の形をしている榎なのであるが、決して猥褻な感じは起こらない。淫らな気持ちなどは少しも起こさせない。むしろグロだ、滑稽だ」ったという。
さらに、「加藤玄智博士の英文『日本人の性器崇拝』でロンドンに紹介され、いまでは学会に貴重な世界的の名物である榎だ」ったという。
「二股の榎が、根本で又(クロス)をなすところは、幕をはって隠してあって、そこに『榎明神』だの『ふるさと大明神』だのという小旗が大真面で立ててある」。
「お万」は「OMANKO」とも音が通じている。広く親しまれた榎と稲荷だったが、昭和20年(1945年)5月、米軍による空襲で被災し、焼失した。
戦後、瑞円寺の裏側、榎坂の入口から分かれて鳩森八幡神社方面へと登る坂の途中に移築・再建された。
現在、傍らには、お万榎と稲荷の縁起と由緒が書かれた石碑があるが、これは瑞円寺と仙寿院によって昭和25年(1950年)5月に建てられたもの。
現在も商売繁盛、縁結び、金縁、子授かりや子供の病気平癒などの信仰を集める。
なお、当社旧知である榎坂の中ほどには、駐日オマーン大使館があった。しかし、オマーン大使館は平成21年(2009年)5月、渋谷区広尾に移転した。
当社のように、榎にゆかりにある、社名に榎がつく稲荷は多い。都内では、板橋区本町に榎木稲荷神社が、墨田区立川に榎稲荷神社がある。
【ご利益】
商売繁盛、病気平癒、子授かり、縁結び

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・東京都の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、東京都に鎮座している神社の一覧
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お万榎稲荷神社(おまんえのきいなりじんじゃ)は、東京都渋谷区千駄ヶ谷にある神社。御朱印の有無は不明。
瑞円寺の門前へと登る細い坂道は榎坂(えのきざか)と呼ばれる。この坂に榎の巨木があったことにちなむとされる。
これが「お万榎」と呼ばれる榎の巨木。「お万榎」の名は、仙寿院を創建した、紀州徳川家初代の徳川頼宣の生母であるお万の方がこの木を信仰したことによるという。
お万の方は、瑞円寺住職の叔母でもあったことから、霊木とされたこの榎を度々訪れていたとも伝わる。また、江戸庶民は「古里大明神」という幟を立ててこの榎を祀った。
この榎は、江戸時代初期の大風により折れ、根幹が朽ちて洞穴が開いた後、不思議にも2本の若芽が穴の左右から生じて伸長、人間が逆立ちしたような形になった。
それが女陰のように見えるようになったことから、ある時、この女陰の部分をある男が勝手に自分の女房の女陰の形に加工してしまった。
その後、その女房は婦人病になってしまい、榎の祟りと騒がれ、この男は今度は祠を造って祀り、参拝したところ、女房の病気は治ったという。
以降、性的信仰・性器崇拝の対象となって、「榎稲荷」として親しまれ、内藤新宿周辺の遊女や女将などが多く拝みにやってくるようになった。
昭和12年(1937年)に出版された白石実三の著書には、「『千駄ヶ谷の例の榎』と言っただけで、誰もにやっと笑う」と書かれ、相当有名だった。
それによれば、「女陰の形をしている榎なのであるが、決して猥褻な感じは起こらない。淫らな気持ちなどは少しも起こさせない。むしろグロだ、滑稽だ」ったという。
さらに、「加藤玄智博士の英文『日本人の性器崇拝』でロンドンに紹介され、いまでは学会に貴重な世界的の名物である榎だ」ったという。
「二股の榎が、根本で又(クロス)をなすところは、幕をはって隠してあって、そこに『榎明神』だの『ふるさと大明神』だのという小旗が大真面で立ててある」。
「お万」は「OMANKO」とも音が通じている。広く親しまれた榎と稲荷だったが、昭和20年(1945年)5月、米軍による空襲で被災し、焼失した。
戦後、瑞円寺の裏側、榎坂の入口から分かれて鳩森八幡神社方面へと登る坂の途中に移築・再建された。
現在、傍らには、お万榎と稲荷の縁起と由緒が書かれた石碑があるが、これは瑞円寺と仙寿院によって昭和25年(1950年)5月に建てられたもの。
現在も商売繁盛、縁結び、金縁、子授かりや子供の病気平癒などの信仰を集める。
なお、当社旧知である榎坂の中ほどには、駐日オマーン大使館があった。しかし、オマーン大使館は平成21年(2009年)5月、渋谷区広尾に移転した。
当社のように、榎にゆかりにある、社名に榎がつく稲荷は多い。都内では、板橋区本町に榎木稲荷神社が、墨田区立川に榎稲荷神社がある。
【ご利益】
商売繁盛、病気平癒、子授かり、縁結び

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