山手通り沿い、もとは宝仙寺、鳥居、庚申塔や常明灯、馬頭観音
[住所]東京都中野区中央2-8-4
[電話]-
白玉稲荷神社(しらたまいなりじんじゃ)は、東京都中野区中央2丁目にある神社。御朱印の有無は不明。
中野坂上駅A2出口近く、山手通り沿いに鎮座する。創建年代は不詳。江戸時代には近くの宝仙寺の中に祀られていた。
宝仙寺といえば、三重塔跡が現在の区立第十中学校の校庭にあった。江戸時代前期の寛永年間(1624年-1644年)の建築で、高さ24メートル、屋根は檜皮葺。
池上本門寺五重塔や上野寛永寺五重塔のような風格で、江戸近郊で唯一の三重塔だったが、昭和20年(1945年)5月の大空襲で焼失した。
古記録には、中野村の飯塚惣兵衛夫妻が施主になって建立したとあり、かつては夫妻の木像が塔内に安置されていたという。
なお、その飯塚家の屋敷神として祀られていた稲荷も、当社と同名で、現在は区内中央3丁目に鎮座しているが、当社とは別の神社。
また、宝仙寺に絡み、区立第十中学校の脇には石棒さまと呼ばれる庚申塔が祀られている。もとは江戸時代中期の宝永年間(1704年-1711年)のもの。
現在のものは、空襲によって破壊され、焼けただれたため、地元の人々が崩れ落ちた石片を集めてセメントで固め、改めて祀られたもので、区内平和史跡に認定されている。
明治になり、神仏分離により当社は現在地に遷座した。御祭神は保食命で、宇迦之御魂神(倉稲魂命)と同神とされる。
当社の裏に残されている石の鳥居には、「奉納 歳豊饒 小下中」「明治十四年(1881年) 巳十月」、また、願主として浅田甚右エ門以下50人の氏名が刻まれている。
青梅街道に面した家々は江戸時代末期、半商半農の生活を営んでおり、村内は上・中・下の3宿に分けられていた。
「小下中」とは、下とされた家をさらに大・小に分けた小下組中という意味。
この文は、明治の初め頃の漢学者である南摩綱紀の依頼によって、成瀬大域が書いたもので、区内の金石文の中でも風格のある名筆といわれている。
区認定観光資源に認定された。また、柵に囲まれた中には、神狐と、かつて若者が力比べをしたと思われる力石、鳥居などがある。
さらに、戦火を受けて、焼けただれた常明灯が安置されており、「白玉稲荷神社の常明灯」として、区内平和史跡に認定されている。
入り口には馬頭観音がある。幕末の文久2年(1862年)2月のもので、正面には、हा(カーン)という梵字と本尊馬頭観音(弘法大師)がある。
「本山に誰が植ける花なれや春こそたおれ手向けにぞなる」とあり、右に「文久二壬戌年二月吉日」、左に「先祖代々」とある。
【ご利益】
商売繁盛、事業成功、家内安全

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・東京都の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、東京都に鎮座している神社の一覧
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白玉稲荷神社(しらたまいなりじんじゃ)は、東京都中野区中央2丁目にある神社。御朱印の有無は不明。
中野坂上駅A2出口近く、山手通り沿いに鎮座する。創建年代は不詳。江戸時代には近くの宝仙寺の中に祀られていた。
宝仙寺といえば、三重塔跡が現在の区立第十中学校の校庭にあった。江戸時代前期の寛永年間(1624年-1644年)の建築で、高さ24メートル、屋根は檜皮葺。
池上本門寺五重塔や上野寛永寺五重塔のような風格で、江戸近郊で唯一の三重塔だったが、昭和20年(1945年)5月の大空襲で焼失した。
古記録には、中野村の飯塚惣兵衛夫妻が施主になって建立したとあり、かつては夫妻の木像が塔内に安置されていたという。
なお、その飯塚家の屋敷神として祀られていた稲荷も、当社と同名で、現在は区内中央3丁目に鎮座しているが、当社とは別の神社。
また、宝仙寺に絡み、区立第十中学校の脇には石棒さまと呼ばれる庚申塔が祀られている。もとは江戸時代中期の宝永年間(1704年-1711年)のもの。
現在のものは、空襲によって破壊され、焼けただれたため、地元の人々が崩れ落ちた石片を集めてセメントで固め、改めて祀られたもので、区内平和史跡に認定されている。
明治になり、神仏分離により当社は現在地に遷座した。御祭神は保食命で、宇迦之御魂神(倉稲魂命)と同神とされる。
当社の裏に残されている石の鳥居には、「奉納 歳豊饒 小下中」「明治十四年(1881年) 巳十月」、また、願主として浅田甚右エ門以下50人の氏名が刻まれている。
青梅街道に面した家々は江戸時代末期、半商半農の生活を営んでおり、村内は上・中・下の3宿に分けられていた。
「小下中」とは、下とされた家をさらに大・小に分けた小下組中という意味。
この文は、明治の初め頃の漢学者である南摩綱紀の依頼によって、成瀬大域が書いたもので、区内の金石文の中でも風格のある名筆といわれている。
区認定観光資源に認定された。また、柵に囲まれた中には、神狐と、かつて若者が力比べをしたと思われる力石、鳥居などがある。
さらに、戦火を受けて、焼けただれた常明灯が安置されており、「白玉稲荷神社の常明灯」として、区内平和史跡に認定されている。
入り口には馬頭観音がある。幕末の文久2年(1862年)2月のもので、正面には、हा(カーン)という梵字と本尊馬頭観音(弘法大師)がある。
「本山に誰が植ける花なれや春こそたおれ手向けにぞなる」とあり、右に「文久二壬戌年二月吉日」、左に「先祖代々」とある。
【ご利益】
商売繁盛、事業成功、家内安全

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