太田道灌が戦勝祈願した牛頭天王祠・宇迦之御魂神祠、昭和に合併
[住所]東京都中野区江原町1-44-2
[電話]-

須賀稲荷神社(すがいなりじんじゃ)は、東京都中野区江原町にある神社。御朱印の有無は不明。

創建年代は不詳。現在こぐま公園がある江原町3丁目17番地には古くから牛頭天王と宇迦之御魂神を祀る小祠が二つあったという。ちょうど、父と娘の関係になる。

その祠の西側では清水がこんこんと湧きでて、細い流れをなしていたことから、土地の人々が五穀の豊穣と疫病除けを祈願して祠を祀ったものだと伝えられている。

また、悪疫の流行を防ぐ神として「じゅくじゅく天王様」と庶民から親しまれ、多くの信仰を集めてきた。また、小高い塚になっていていたため「稲荷塚」とも呼ばれた。

江古田相原の衆落の守護神として、武徳優れ、悪疫流行を防ぐ神として、牛頭天王は素盞鳴尊と同一視され、五穀豊穣農業繁栄の神として宇迦之御魂命を祀り、原の人びとの崇敬厚き神社だった。

『東京都神社名鑑』によれば、戦国時代の文明9年(1477年)、太田道灌が、石神井・練馬両城を攻め、江古田原において合戦するにあたり、当社に戦勝を祈願した。

この場合の当社が、牛頭天王祠なのか、宇迦之御魂神祠なのか、それとも両方なのかは不明。安土桃山時代の天正19年(1591年)、検地の際、社地6畝7歩が除地となっている。

明治になり、それぞれ須賀神社と稲荷神社になったようだ。明治13年(1880年)9月に社殿の改築が記録されている。

ただ、昭和30年代になって、江原町は人口増と東京オリンピック開催を契機に道路整備が進展、目白通りの交通量が激増した。

そのため、天王様の境内での祭礼、町の諸行事の開催は危険となり、崇敬者は困惑した。

そこで、地元有志の努力により、現在地に二神を合祀して移転し、昭和42年(1967年)2月13日に宗教法人須賀稲荷神社を創立した。

昭和47年(1972年)1月、諸建物の建設を起工、同年6月25日に社殿、公民館併設の社務所、神楽殿が完成した。現在、境内に江原公民館記念碑がある。

その後江原町公民館運営委員会や町会、若睦が管理運営を行ってきたが、平成17年(2005年)5月29日、「須賀稲荷神社氏子会」が発足され現在に至っている。

例祭は2月初午。これは稲荷神社のもので、『東京都神社名鑑』には6月24日とあり、こちらは須賀神社の天王祭か。

【ご利益】
五穀豊穣・商売繁盛、厄災除け、病気平癒、無病息災
須賀稲荷神社 東京都中野区江原町
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