弟橘姫の遺品漂着、10月におまんと、2月と9月に餅投げ、入海貝塚
[住所]愛知県知多郡東浦町緒川屋敷壱区48
[電話]0562-83-2777

入海神社(いりみじんじゃ)は、愛知県知多郡東浦町緒川屋敷壱区にある神社。近代社格では郷社。東浦町おまんとうまつりの一社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

日本武尊が東征の際、相模の走水から上総に渡ろうとした時、海が荒れていたので、弟橘姫が日本武尊の難に代わろうと海神に祈って海中に身を投じた。

すると、海が鎮まり、日本武尊は海難を回避し、無事走水の海を渡りきった。ここまでは『古事記』に記載されている。

当地では日本武尊の東征は、紅葉川から船に乗って出発し、海神に身を捧げて海を鎮めた弟橘姫の櫛が、紅葉川に流れついたといわれる。

関東地方には多い、弟橘姫の遺品の漂着伝承ではあるが、当地当りが西限か。ともかく、創祀は奈良時代の宝亀年間(770年-781年)と伝えられる。

ただ、ここに出てくる紅葉川は不詳。また、その後の由緒もよく分からない。御祭神は弟橘媛命。相殿に弁天神社(宗像三神)を祀るという。

2月の初午祭では餅投げが行われる。投げる餅の量の多さが評判になることがある。

境内社に、八幡社(応神天皇神功皇后玉依比売命)、津島社(建速須佐之男命)、山神社(大山祇命)、天神社(菅原道真)、社宮司(猿田彦命)、子安社(豊玉媛命)、龍神社(綿津見命)、地立社(小名彦命)、招魂社がある。

毎年9月中旬には八幡社山神社例祭が当社境内で行われ、やはり景品付きの餅投げがある。7月中旬には津島社の祭典として、お天王祭が行われ、茅輪くぐりがある。

毎年10月に駆馬神事、いわゆる「おまんと」が行われる。鈴を背に着けた馬が当社境内に設えた柵の中を疾走、若衆の「ハイヨー」の掛け声とともに馬につかまり、伴走する。

東浦町では、当社を含めて五つの神社で、9月から10月にかけてこの神事が行われ、総称して東浦町おまんと祭りと呼ばれる。

社宝として、正宗短刀(まさむねたんとう)と長船長刀(おさふねちょうとう)がある。現在はいずれも町の文化財に指定されている。

正宗短刀は、長さ1尺5寸2分(約45センチ)。刀身の表に「奉寄進入海大明神」、続けて茎に 「元和三年(1617年)丁巳 正宗」と刻まれている。

裏には「尾張国知多郡緒川住人都築忠兵衛」と寄進者の名も刻まれている。短刀と呼ばれているが、小脇差の長さがある。

長船長刀は、長さ2尺4寸5分(約74センチ)。表の鎬地に「八幡大菩薩」の文字、裏に凡字が刻まれている。

茎には「備前国住人長船与三左衛門尉祐定作 永正八年(1511年)二月吉日」とある。この長刀は明治27年(1894年)、当社氏子で緒川村の竹内孫右衛門が寄進したもの。

境内の拝殿・本殿東の段丘崖に沿って幅約10メートル、長さ約80メートルの貝層が弧を描くように分布している。

いわゆる入海貝塚で、国の史跡に指定されている。縄文時代早期後葉の貝塚で、貝塚からは縄文土器を中心に、石器・骨角器などが出土している。

縄文土器は尖底で砲弾型をしており、口縁下に数条の突帯をめぐらし、突帯にヘラなどで刻みを入れているのが特徴で、「入海式土器」と呼ばれ、東海地方の縄文時代早期末の基準土器。

上層には弥生式土器の散布もみられ、宮西貝塚へも貝層は続いている。貝は75%がハイガイ、15%がカキ、残りがアサリやシジミである。

参道には夜啼き石がある。昔、緒川城にあって、夜になると犬の遠吠えのように鳴いたという。江戸時代中期の寛延2年(1749年)、当社に奉納された。

また、境内には東浦町の書家、中川南巌の石碑もある。

【ご利益】
諸願成就、厄災除け、身体壮健、無病息災、地域安全
入海神社 愛知県知多郡東浦町緒川屋敷壱区
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