弟橘姫の櫛が漂着、馬の背に載せ山で奉斎、9月に馬だし祭り
[住所]千葉県富津市西大和田98
[電話]-
吾妻神社(あづまじんじゃ)は、千葉県富津市西大和田にある神社。近代社格では村社。9月に行われる馬だし祭りで知られている。御朱印の有無は不明。
内房線大貫駅の東約2.5キロの、吉野小学校の山腹に鎮座する。地元では、当社のある山を「オヤマ」、当社を「オアヅマサマ」と呼び親しんでいる。
日本武尊が東征の際、相模の走水から上総に渡ろうとした時、海が荒れていたので、弟橘姫が日本武尊の難に代わろうと海神に祈って海中に身を投じた。
すると、海が鎮まり、日本武尊は海難を回避し、無事走水の海を渡りきった。ここまでは『古事記』に記載されている。
その後日譚として、海神に身を捧げて海を鎮めた弟橘姫の櫛が、現在の富津市岩瀬の海岸に漂着、それを見つけた人たちが、馬の背にその櫛を載せて吾妻山に奉斎したのが起源だという。
詳細な創建年代は不詳。御祭神は弟橘姫命。もと吉野郷と呼ばれた、上・近藤・八田沼・絹・西大和田・中・岩瀬の旧7ヶ村の鎮守として崇敬された。
当社創建の馬の背に弟橘姫の遺品を載せた由緒にちなむのが、馬だし祭り。現在は9月敬老の日の前日の日曜日に行われている。
古来より続くもので、昔使用していた用具が48点あり、民俗資料として県の文化財に指定されている。大きく分けて三つの神事からなる。
一つ目は、オブリ神事。青竹を一対に併せた中間に鮮魚(出世魚イナダ)をつり下げて、白丁たちが神前に担ぎ上げる。
その後、拝殿に安置してある神輿に鮮魚を飾り付け、飾り付けが終了すると拝殿の壺鈴に添えられている鈴紐によじ登り、鈴を蹴ることで、祭典の幕開けとなる。
二つ目は、馬だし神事。神馬の馬役がまだ暗いうちに岩瀬の海岸に行き、海水で身を清める。また、馬役の家に戻り、背に純白の布団を何枚も敷き重ねて飾られる。
その後、当社を目指し、到着すると当社の参道階段を駆け上り、当社神殿前で祭典を執行、御幣一対がその上に立てられる。
神馬は、氏子地域を巡った後、岩瀬海岸で「馬だし」といって海岸を疾駆する。「オメシ(神馬)の疾駆」として、最大の見所とされ、人気がある。終了後は当社に還御する。
三つ目は、神輿渡御・還御。オブリ神事により飾り付けが終了した神輿が、宮元の白丁が担ぎ、宮司により「御霊」を入れられると渡御が始まる。
以後、旧村落ごとに担いで次々と引き継いで岩瀬海岸までを往復する。神輿は、旧村境で「仁義を切る」と称している「引き渡し式」を行う。
岩瀬の浜では、御浜下りと称して神輿ごと海中に入り海水による清めを行う。御浜下りの後の当社への還御は夜になり、氏子たちは各自手提げ提灯をかざす。
対岸の横須賀市の走水神社の氏子が海岸に出て、お浜降りの提灯を望見し「上総の吾妻様がお立ち帰り」といって遙拝するのが習わしだという。
考古学的にも、東京湾を挟んで相模と上総は縄文時代以来、様々な痕跡により交流してきたことが分かっており、当社と走水神社の関係もその証左の一つと言える。
【ご利益】
五穀豊穣・大漁満足・海上安全
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・千葉県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、千葉県に鎮座している神社の一覧
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吾妻神社(あづまじんじゃ)は、千葉県富津市西大和田にある神社。近代社格では村社。9月に行われる馬だし祭りで知られている。御朱印の有無は不明。
内房線大貫駅の東約2.5キロの、吉野小学校の山腹に鎮座する。地元では、当社のある山を「オヤマ」、当社を「オアヅマサマ」と呼び親しんでいる。
日本武尊が東征の際、相模の走水から上総に渡ろうとした時、海が荒れていたので、弟橘姫が日本武尊の難に代わろうと海神に祈って海中に身を投じた。
すると、海が鎮まり、日本武尊は海難を回避し、無事走水の海を渡りきった。ここまでは『古事記』に記載されている。
その後日譚として、海神に身を捧げて海を鎮めた弟橘姫の櫛が、現在の富津市岩瀬の海岸に漂着、それを見つけた人たちが、馬の背にその櫛を載せて吾妻山に奉斎したのが起源だという。
詳細な創建年代は不詳。御祭神は弟橘姫命。もと吉野郷と呼ばれた、上・近藤・八田沼・絹・西大和田・中・岩瀬の旧7ヶ村の鎮守として崇敬された。
当社創建の馬の背に弟橘姫の遺品を載せた由緒にちなむのが、馬だし祭り。現在は9月敬老の日の前日の日曜日に行われている。
古来より続くもので、昔使用していた用具が48点あり、民俗資料として県の文化財に指定されている。大きく分けて三つの神事からなる。
一つ目は、オブリ神事。青竹を一対に併せた中間に鮮魚(出世魚イナダ)をつり下げて、白丁たちが神前に担ぎ上げる。
その後、拝殿に安置してある神輿に鮮魚を飾り付け、飾り付けが終了すると拝殿の壺鈴に添えられている鈴紐によじ登り、鈴を蹴ることで、祭典の幕開けとなる。
二つ目は、馬だし神事。神馬の馬役がまだ暗いうちに岩瀬の海岸に行き、海水で身を清める。また、馬役の家に戻り、背に純白の布団を何枚も敷き重ねて飾られる。
その後、当社を目指し、到着すると当社の参道階段を駆け上り、当社神殿前で祭典を執行、御幣一対がその上に立てられる。
神馬は、氏子地域を巡った後、岩瀬海岸で「馬だし」といって海岸を疾駆する。「オメシ(神馬)の疾駆」として、最大の見所とされ、人気がある。終了後は当社に還御する。
三つ目は、神輿渡御・還御。オブリ神事により飾り付けが終了した神輿が、宮元の白丁が担ぎ、宮司により「御霊」を入れられると渡御が始まる。
以後、旧村落ごとに担いで次々と引き継いで岩瀬海岸までを往復する。神輿は、旧村境で「仁義を切る」と称している「引き渡し式」を行う。
岩瀬の浜では、御浜下りと称して神輿ごと海中に入り海水による清めを行う。御浜下りの後の当社への還御は夜になり、氏子たちは各自手提げ提灯をかざす。
対岸の横須賀市の走水神社の氏子が海岸に出て、お浜降りの提灯を望見し「上総の吾妻様がお立ち帰り」といって遙拝するのが習わしだという。
考古学的にも、東京湾を挟んで相模と上総は縄文時代以来、様々な痕跡により交流してきたことが分かっており、当社と走水神社の関係もその証左の一つと言える。
【ご利益】
五穀豊穣・大漁満足・海上安全
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