江戸前期に鵜戸神宮を勧請、飫肥の御両社、境内摂社に桜井神社
[住所]宮崎県日南市南郷町榎原甲1134-4
[電話]0987-68-1028
榎原神社(よわらじんじゃ)は、宮崎県日南市南郷町榎原にある神社。近代社格では県社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
江戸時代前期の万治元年(1658年)、飫肥3代藩主伊東祐久が鵜戸神宮の御分霊を勧請、地福寺境内を社地として創建したという。
ただし、当社縁起によると「明暦2丙申年(1656年)11月27日大和守祐久公供伊東勘解由参詣於榎原別当真誉(鵜戸山別当)同参也」とあり、万治元年は再興とも。
旧称は榎原大権現といい、鵜戸神宮とともに飫肥の御両社として、篤く崇敬された。また、潮嶽神社によれば、潮嶽大権現とともに、日向三権現と呼ばれたという。
社領ははじめ100石だったが、江戸時代後期の文化5年(1808年)、11代藩主伊東祐民が150石に加増した。鵜戸参りと並んで榎原参りが近郷の信を集めた。
明治元年(1868年)、現社号に改称、明治6年(1873年)には郷社に列し、昭和5年(1930年)8月1日、県社に昇格した。
御祭神は、天照大神・天忍穂耳命・彦火瓊瓊杵命・彦火火出見命・鵜鷀草葺不合命・神日本磐余彦命。
天御中主尊・国常立命・国狭槌命・大己貴命・下照毘売命・伊弉諾命・伊弉冉命・澳津彦命・奥津毘売命・経津主命・菊理毘売命・健御名方命を配祀している。
例祭は11月8・9日。旧暦3月15・16日が縁日大祭で、作祈祷神楽が行われる。当社創建以来の伝統ある神楽で、五穀豊穣や家内安全を祈る。
作神楽とも呼ばれ、古代の呪術性を引き継いだもの。この神楽は一時途絶えていたが、榎原神社神楽保存会により昭和58年(1983年)に復活している。
現在の社殿は、江戸時代中期の宝永4年(1707年)に建立され、当初は八幡造りだったが、寛政10年(1798年)、当時流行した権現造りに改造されたものと考えられている。
拝殿を入母屋屋根とし、正面に千鳥破風、その前面の向拝に、唐破風を設けてある。拝殿・相の間・神殿をつなぐ平面は八幡造りのままだが、正面の姿は権現造り。
しかし従来関係者は、屋根の複雑さから、八ツ棟造りと呼びならわしている。また、境内には鐘楼がある。造形的にも当社建造物で最も優れたものとされている。
高さ11.41メートルで、組物・蟇股・木鼻といった細部の造りも入念な仕上げがされ、上部の鐘楼部の躍動感と、下部の黒板張りの袴腰の安定感とが好対照をなしている。
また、楼門は、文化13年(1816年)に当社境内と門前町を結ぶ位置に建立されたもの。楼門づくりの木造二階建で、高さ約11メートル、横幅約7メートル、奥行約4メートル。
地場産の飫肥杉を柱などの材料とし、礎石や礎盤に榎原石と呼ばれる凝灰岩を加工している。これら、本殿・鐘楼・楼門はいずれも県の文化財に指定されている。
境内社に摂社として桜井神社が本殿の横にある。江戸時代の神女で縁結びの神として崇敬されている内田万寿姫(うちだますひめ)が祀られている。
縁結びや安産に御利益がある。境内に樹齢約600年の「夫婦楠」があり、縁結びの象徴とされる。また、2枚合せの「えんむすび絵馬」がカップルに人気である。
本殿横には宝物資料館があり、当社に伝わる古文、冠などが約90点展示・保管されている。入場料は無料。
【ご利益】
縁結び、安産、学業・受験合格、家内安全

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[電話]0987-68-1028
榎原神社(よわらじんじゃ)は、宮崎県日南市南郷町榎原にある神社。近代社格では県社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
江戸時代前期の万治元年(1658年)、飫肥3代藩主伊東祐久が鵜戸神宮の御分霊を勧請、地福寺境内を社地として創建したという。
ただし、当社縁起によると「明暦2丙申年(1656年)11月27日大和守祐久公供伊東勘解由参詣於榎原別当真誉(鵜戸山別当)同参也」とあり、万治元年は再興とも。
旧称は榎原大権現といい、鵜戸神宮とともに飫肥の御両社として、篤く崇敬された。また、潮嶽神社によれば、潮嶽大権現とともに、日向三権現と呼ばれたという。
社領ははじめ100石だったが、江戸時代後期の文化5年(1808年)、11代藩主伊東祐民が150石に加増した。鵜戸参りと並んで榎原参りが近郷の信を集めた。
明治元年(1868年)、現社号に改称、明治6年(1873年)には郷社に列し、昭和5年(1930年)8月1日、県社に昇格した。
御祭神は、天照大神・天忍穂耳命・彦火瓊瓊杵命・彦火火出見命・鵜鷀草葺不合命・神日本磐余彦命。
天御中主尊・国常立命・国狭槌命・大己貴命・下照毘売命・伊弉諾命・伊弉冉命・澳津彦命・奥津毘売命・経津主命・菊理毘売命・健御名方命を配祀している。
例祭は11月8・9日。旧暦3月15・16日が縁日大祭で、作祈祷神楽が行われる。当社創建以来の伝統ある神楽で、五穀豊穣や家内安全を祈る。
作神楽とも呼ばれ、古代の呪術性を引き継いだもの。この神楽は一時途絶えていたが、榎原神社神楽保存会により昭和58年(1983年)に復活している。
現在の社殿は、江戸時代中期の宝永4年(1707年)に建立され、当初は八幡造りだったが、寛政10年(1798年)、当時流行した権現造りに改造されたものと考えられている。
拝殿を入母屋屋根とし、正面に千鳥破風、その前面の向拝に、唐破風を設けてある。拝殿・相の間・神殿をつなぐ平面は八幡造りのままだが、正面の姿は権現造り。
しかし従来関係者は、屋根の複雑さから、八ツ棟造りと呼びならわしている。また、境内には鐘楼がある。造形的にも当社建造物で最も優れたものとされている。
高さ11.41メートルで、組物・蟇股・木鼻といった細部の造りも入念な仕上げがされ、上部の鐘楼部の躍動感と、下部の黒板張りの袴腰の安定感とが好対照をなしている。
また、楼門は、文化13年(1816年)に当社境内と門前町を結ぶ位置に建立されたもの。楼門づくりの木造二階建で、高さ約11メートル、横幅約7メートル、奥行約4メートル。
地場産の飫肥杉を柱などの材料とし、礎石や礎盤に榎原石と呼ばれる凝灰岩を加工している。これら、本殿・鐘楼・楼門はいずれも県の文化財に指定されている。
境内社に摂社として桜井神社が本殿の横にある。江戸時代の神女で縁結びの神として崇敬されている内田万寿姫(うちだますひめ)が祀られている。
縁結びや安産に御利益がある。境内に樹齢約600年の「夫婦楠」があり、縁結びの象徴とされる。また、2枚合せの「えんむすび絵馬」がカップルに人気である。
本殿横には宝物資料館があり、当社に伝わる古文、冠などが約90点展示・保管されている。入場料は無料。
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