日本唯一、海幸彦が主祭神、ミコ舞、潮嶽棒踊り、獅子舞、潮嶽神楽
[住所]宮崎県日南市北郷町北河内8901-1
[電話]0987-55-3252

潮嶽神社(うしおだけじんじゃ)は、宮崎県日南市北郷町北河内にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

創建年代は不詳。御祭神である火闌降命、つまり海幸彦命は、『古事記』にも記載される海幸・山幸の争の時、磐船で満潮に乗り、当地に到着、宮居を定めたと伝えられる。

実際、当社からは潮満玉や潮干玉に由来する越潮山・潮越山が望まれ、付近には、乗って来た磐船が沈むと伝えられる賢所や、誓いの森とされる潮高座がある。

そして、御祭神の御陵とされている大塚(王塚)などが現存している。いわば海幸彦の終焉の地であり、祭祀の開始はそれに基づくものとも考えられる。

日本で唯一、海幸彦を主祭神として祀る神社である。

江戸時代前期の正保年間(1645年-1648年)、火災に遭い、古文書などの資料が失われたため、それ以前のことは不詳である。

しかし口碑によれば、社殿の建立は初代神武天皇の時代と伝えられ、もとは潮嶽大権現と称したという。

海幸山幸の神 農耕の神、開運・心願成就の神、郷土の産土神、隼人の祖と称され、鵜戸大権現(鵜戸神宮)、榎原大権現(榎原神社)とともに、日向三権現として崇敬された。

藩政時代にには社録が付され、大祭には飫肥藩主伊東氏より太刀一口と幣帛料が奉納されたという。明治維新の後、現社号に改称、今日に至っている。

境内は樹齢約400年の大木に囲まれ、苔むした石段の上に拝殿と本殿がある。拝殿は近代以降の立て替えだが、現在では貴重なカヤの木で作られている。

現在の本殿は江戸時代後期の天保3年(1833年)、日向国飫肥藩13代藩主伊東祐相の寄進による造営だという。

流れ造り、三方高欄で極彩色を施し、組み物と、唐獅子などの彫刻は優麗。本殿・拝殿・祖霊舎には伊東家の庵木瓜、九曜の紋所を掲げている。

現在までに、相殿に彦火火出見命、つまり主祭神の弟にあたる山幸彦命と、火明命を祀る。

火明命は通常、主祭神の父である邇邇芸命の兄。一方で、火須勢理命のことであれば、『古事記』にある、邇邇芸命の子、三兄弟が御祭神となる。

ただ、坂合部氏(坂合部連)のように、火闌降命と火明命は全く無関係とは言い切れない面もある。

海幸・山幸の争いにちなみ、縫い針の貸借がタブーとされ、初宮詣にあたっては、額に「犬」の字を書くという隼人の宮廷奉仕の古俗を偲ばせる習俗が残る。

魚釣舞を含む潮嶽神楽や、神武天皇東征の際、別れを惜しみ里の乙女が舞ったことに由来する御神子舞などの神事・芸能も現存している。

また、祭典時には大マグロや十数頭の猪頭も奉奠されるなど、海幸・山幸の御祭神の御神徳にちなむ漁業や狩猟の信仰が厚い。

例祭は2月11日の建国記念日が春大祭。四人の乙女によるミコ舞、天孫降臨の故事を再現した福種子下ろしの神事が行われ、潮嶽棒踊り、鬼神舞や鵜戸舞などの潮嶽神楽が奉納される。

11月第2日曜日が秋大祭。潮嶽獅子舞、あるいは昇り藤舞とも、立藤舞とも呼ばれる獅子舞が見もの。上り藤のように伸び上がり、天を突くように舞うところに特色がある。

獅子に続き、チゴ・ミコ・御輿と、行列が山里を巡幸する。

【ご利益】
心願成就・家内安全・海幸安全・五穀豊穣(公式HP
潮嶽神社 宮崎県日南市北郷町北河内
【関連記事】
宮崎県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、宮崎県に鎮座している神社の一覧
潮嶽神社 宮崎県日南市北郷町北河内の御朱印