日本一のさざれ石群、登り龍とドラゴンボール、ラグビー日本代表
[住所]宮崎県日向市伊勢ヶ浜
[電話]0982-52-3406
大御神社(おおみじんじゃ)は、宮崎県日向市伊勢ヶ浜にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。オリジナルの御朱印帳がある。
創建年代は不詳。当社の古文書によれば、皇孫瓊々杵尊が天下った際、当地を通過し、千畳敷の磐石で、皇祖天照大御神を奉祀して平安を祈念したと伝わる。
後世、この霊石のある場所に一宇を建て、皇大御神を勧請し、村中の鎮守として崇敬するようになったという。
また、初代神武天皇の東征において、大鯨を退治した御鉾を建てたことから、鉾島と呼ばれたが、後に細島に転じたと伝えられている。
神武天皇はこの時、伊勢ヶ浜の港に入り、皇大御神を奉斎する社に武運長久と航海安全を祈願したと伝えられる。
当社の西に横たわる櫛の山と、東に隆起する米の山、またの名を久米の山は、神武天皇の先鋒を務めた天櫛津大久米命の名にちなみむのともいう。
その後、当社は日知屋城主伊東氏ら歴代城主はもちろん、延岡城主、幕領代官などに尊崇され、地方の民も「日向のお伊勢さま」と呼んで崇敬し、親しまれた。
社名は、御祭神の天照皇大御神からとも伝わるが、本殿に残る天保(1831年-1845年)・安政(1855年-1860年)から大正5年(1916年)までの木札には天照皇大神宮とある。
当社の近くには伊勢ヶ浜や五十鈴川という名称が残り、伊勢とのつながりを連想させる。伊勢の神宮と何らかの関わりがあるとも指摘される。
現在の社殿は、昭和13年(1938年)10月に全面改築されたもので、建物全体が直線形の木造銅板葺で切妻屋根を支える力柱を持ち、棟の両端にV字型に千木を突き出す神明造り。
本殿裏の波打つ柱状岩と相まって独特の雰囲気を醸し出し、特に海岸より観る姿の美しさに定評がある。本殿・幣殿・拝殿は国登録有形文化財に指定されている。
海岸には3匹の亀岩がある。今から約1500万年前のこと。神社の沖にある海底火山の活動によりこの海岸一帯は多量の火砕流が押し寄せ堆積。
長い年月をかけて固まったのが柱状節理(溶結凝灰岩)で、長寿を象徴とするめでたい亀の形に見えることから、人気がある。
平成15年(2003年)9月、境内拡張造成工事の途中、大規模な「さざれ石」群が発見された。
国歌『君が代』でも知られるさざれ石ではあるが、当社のものは塩見川河口に至るまでのもので、日本一のスケール。
その神座(かみくら)すぐ下の水溜まりで、渦上につまれた岩のなかからたまご型の石が発見された。5000年前の信仰の痕跡だという。
また、境内社として鵜戸神社がある。千古の神秘を湛える洞窟に鎮座している。御祭神は、鵜葺草葺不合命・彦火瓊々杵命・彦火々出見命・豊玉姫命・塩筒大神。
奉祀の年代は不詳。市内には 鵜戸神宮がある。また、御祭神としては青島神社との関連もうかがえる。古くより鵜戸さまと慕われ、安産、航海・交通安全、厄難消除、事業繁栄のご利益がある。
鵜戸神社が鎮座する岩窟の大きさは高さ20メートル、幅8メートル、奥行40メートル。
洞窟奥にある社そばから入り口を振り返ると、左右の岩のすき間が「天に昇る白龍」の形に見えることで知られる。昇り龍の縁起物として、当社のシンボルになっている。
この白龍のシルエットもやはり5000年前の信仰によるとされ、先のたまご型の石もこのことから、形状含め、「ドラゴンボール」と呼ばれている。
例祭は10月下旬の土・日曜日で例大祭。土曜日が宵祭りで、境内に特設舞台が設けられ、豊栄の舞、浦安の舞、宮司舞や11番の大峡神楽、天翔獅子が奉納される。
特に天翔獅子は、この例祭のための振り付けで、年に1度の金獅子も登場する。途中、餅まき、甘酒、ぜんざいなどの振る舞いもある。
日曜日が御神幸祭で、神輿のお渡りがあり、9ヶ所ある御旅所では、神楽と豊栄の舞が奉納される。
また近年では、バイオリニストの古澤巌が当社獅子舞にインスピレーションを受けて作曲した『龍神伝説』の奉納演奏がある。
イングランドで行われたラグビーワールドカップ2015を前に、宮崎県で長期合宿を行っていたラグビー日本代表の選手やスタッフが当社に参拝したことでも知られる。
そのワールドカップ初戦の南アフリカ戦で、日本代表は「スポーツ史上最大の番狂わせ」と世界中で報じられた歴史的勝利をあげている。
【ご利益】
開運招福、武運長久・勝運、平穏安寧(公式HP)
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・宮崎県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、宮崎県に鎮座している神社の一覧
[電話]0982-52-3406
大御神社(おおみじんじゃ)は、宮崎県日向市伊勢ヶ浜にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。オリジナルの御朱印帳がある。
創建年代は不詳。当社の古文書によれば、皇孫瓊々杵尊が天下った際、当地を通過し、千畳敷の磐石で、皇祖天照大御神を奉祀して平安を祈念したと伝わる。
後世、この霊石のある場所に一宇を建て、皇大御神を勧請し、村中の鎮守として崇敬するようになったという。
また、初代神武天皇の東征において、大鯨を退治した御鉾を建てたことから、鉾島と呼ばれたが、後に細島に転じたと伝えられている。
神武天皇はこの時、伊勢ヶ浜の港に入り、皇大御神を奉斎する社に武運長久と航海安全を祈願したと伝えられる。
当社の西に横たわる櫛の山と、東に隆起する米の山、またの名を久米の山は、神武天皇の先鋒を務めた天櫛津大久米命の名にちなみむのともいう。
その後、当社は日知屋城主伊東氏ら歴代城主はもちろん、延岡城主、幕領代官などに尊崇され、地方の民も「日向のお伊勢さま」と呼んで崇敬し、親しまれた。
社名は、御祭神の天照皇大御神からとも伝わるが、本殿に残る天保(1831年-1845年)・安政(1855年-1860年)から大正5年(1916年)までの木札には天照皇大神宮とある。
当社の近くには伊勢ヶ浜や五十鈴川という名称が残り、伊勢とのつながりを連想させる。伊勢の神宮と何らかの関わりがあるとも指摘される。
現在の社殿は、昭和13年(1938年)10月に全面改築されたもので、建物全体が直線形の木造銅板葺で切妻屋根を支える力柱を持ち、棟の両端にV字型に千木を突き出す神明造り。
本殿裏の波打つ柱状岩と相まって独特の雰囲気を醸し出し、特に海岸より観る姿の美しさに定評がある。本殿・幣殿・拝殿は国登録有形文化財に指定されている。
海岸には3匹の亀岩がある。今から約1500万年前のこと。神社の沖にある海底火山の活動によりこの海岸一帯は多量の火砕流が押し寄せ堆積。
長い年月をかけて固まったのが柱状節理(溶結凝灰岩)で、長寿を象徴とするめでたい亀の形に見えることから、人気がある。
平成15年(2003年)9月、境内拡張造成工事の途中、大規模な「さざれ石」群が発見された。
国歌『君が代』でも知られるさざれ石ではあるが、当社のものは塩見川河口に至るまでのもので、日本一のスケール。
その神座(かみくら)すぐ下の水溜まりで、渦上につまれた岩のなかからたまご型の石が発見された。5000年前の信仰の痕跡だという。
また、境内社として鵜戸神社がある。千古の神秘を湛える洞窟に鎮座している。御祭神は、鵜葺草葺不合命・彦火瓊々杵命・彦火々出見命・豊玉姫命・塩筒大神。
奉祀の年代は不詳。市内には 鵜戸神宮がある。また、御祭神としては青島神社との関連もうかがえる。古くより鵜戸さまと慕われ、安産、航海・交通安全、厄難消除、事業繁栄のご利益がある。
鵜戸神社が鎮座する岩窟の大きさは高さ20メートル、幅8メートル、奥行40メートル。
洞窟奥にある社そばから入り口を振り返ると、左右の岩のすき間が「天に昇る白龍」の形に見えることで知られる。昇り龍の縁起物として、当社のシンボルになっている。
この白龍のシルエットもやはり5000年前の信仰によるとされ、先のたまご型の石もこのことから、形状含め、「ドラゴンボール」と呼ばれている。
例祭は10月下旬の土・日曜日で例大祭。土曜日が宵祭りで、境内に特設舞台が設けられ、豊栄の舞、浦安の舞、宮司舞や11番の大峡神楽、天翔獅子が奉納される。
特に天翔獅子は、この例祭のための振り付けで、年に1度の金獅子も登場する。途中、餅まき、甘酒、ぜんざいなどの振る舞いもある。
日曜日が御神幸祭で、神輿のお渡りがあり、9ヶ所ある御旅所では、神楽と豊栄の舞が奉納される。
また近年では、バイオリニストの古澤巌が当社獅子舞にインスピレーションを受けて作曲した『龍神伝説』の奉納演奏がある。
イングランドで行われたラグビーワールドカップ2015を前に、宮崎県で長期合宿を行っていたラグビー日本代表の選手やスタッフが当社に参拝したことでも知られる。
そのワールドカップ初戦の南アフリカ戦で、日本代表は「スポーツ史上最大の番狂わせ」と世界中で報じられた歴史的勝利をあげている。
【ご利益】
開運招福、武運長久・勝運、平穏安寧(公式HP)
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