平安末期までに分社、桃山期に中田村の鎮守、豊富な社叢
[住所]神奈川県横浜市泉区中田北3-42-1
[電話]045-802-1370

御霊神社(ごれいじんじゃ)は、神奈川県横浜市泉区中田北にある神社。近代社格では村社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

「中田のごりょうさま」「汲沢のごりょうさま」として親しまれている。中田御霊神社とも。御祭神は、鎌倉権五郎景政・日本武尊

『新編相模風土記稿』によれば、「天正中の勧請という」と記されている。創建は、安土桃山時代の天正年間(1573年-1593年)となる。

ただし、藤沢市の村岡御霊神社に伝わる、平安時代末期の仁安2年(1167年)記の文書には、当地名が記載され、分社したことも記されている。

勧請年代や創立は、仁安2年の平家全盛の頃か、それ以前にさかのぼることになる。また、葛野御霊神社から移された、とも。葛野には山神社がある。

安土桃山時代の文禄元年(1592年)、石巻康敬が中田村の領主になって以来、鎮守神として当社を崇敬、社参や奉賽も多かったと伝える。

江戸時代中期の享保11年(1726年)、社殿修復が行われ、その棟札が現存するが、康敬から数えて5代の孫、石巻康久のものである。

旧中田村の鎮守として崇敬された。明治6年(1873年)、村社に列し、大正10年(1921年)には神饌幣帛料供進社に指定された。

大正12年(1923年)の関東大震災で、享保11年再興の社殿が倒壊した。翌大正13年(1924年)、その主要部分を用いて、本殿のみが復旧された。

その後、昭和7年(1932年)2月、氏子の浄財を得て、拝殿、幣殿、渡殿などが再建された。

境内には終戦前まで老松老杉が鬱蒼と茂り、境内山林は明治42年(1909年)以来、県の風致保安林に指定されたが、戦後になり、松喰虫や公害のため次々と枯死した。

昭和22年(1947年)、神楽殿を新築したが、正面間口5間の幕吊りは、枯死した樹齢300年の御神木が用いられた。

また、社殿右側にある瓦葺きの小さな神輿庫は終戦時、中和田小学校の天皇皇后両陛下の御真影を納めた奉安殿を移築、保存したものである。

昭和43年(1968年)4月、境内の続きに御霊神社幼児園が開園。幼稚園ではなく、乳幼児も受け入れている。

昔に比べると樹木が減り境内は明るくなったが、その社叢は、楠や椎などの照葉樹林が中心で、檜や椹に混じって、自然に生え、繁茂した藪ニッケイ、楠、タブ、椎、樫が育っている。

境内には他に、古式消防器具保存庫、宮本湊の徳を称えた頌徳碑、村岡川(宇田川)源流の弁天池がある。池の前の庚申塔は、区内最古のもの。

境内には弁天社をはじめ、大日大聖不動社などが祀られている。

なお、当社は区内和泉町の左馬神社佐婆神社、上飯田町の飯田神社下飯田町和泉町の鯖神社などを兼務している。

【ご利益】
地域安全、家内安全、身体壮健、リフレッシュ、諸願成就
御霊神社 神奈川県横浜市泉区中田北
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