成宗村の開村で弁天池ほとりに創立、天保用水と富士塚、水信仰
[住所]東京都杉並区成田東5-29-3
[電話]03-3392-1027 - 須賀神社

成宗弁財天社(なりむねべんざいてんしゃ)は、東京都杉並区成田東にある神社。成宗五色弁財天とも。御朱印はない。

室町時代後期以前、成宗村の開村にあたり、水神の加護を得るため、弁天池と通称された湧水池のほとりに建立されたのが創祀だという。

御神体は、縦25センチ×横22センチ×厚さ4センチほどの素焼きの曼荼羅像。中央に剣を携えた弁財天、その周囲に十数体の童子などが浮彫されているという。

この御神体は当社創祀に先立つ鎌倉時代、江ノ島弁財天の洞窟で焚いた護摩の灰を練り固めて作ったという伝説がある。

裏面には手形が捺され、指の部分に「天長七年七月七日 於江島弁戝天法 秘密護摩一万座奉修業 以其灰此像形作者也」の刻印、手のひらの部分に空海の名と花押がある。

天長7年では平安時代前期の830年であり、刻印の信ぴょう性には疑問がある。江戸時代に型取りされ全国に頒布された複製品の一つとも。

弁天池は江戸時代後期の天保11年(1840年)に開削された新堀用水(天保用水)の中継池として利用された。

この用水は、中野村・高円寺村・馬橋村の名主らが中心となり、水量が豊富な善福寺川から水不足に悩む桃園川流域への分水を目的としたもの。

現在も当社の鳥居前に残る石橋・水路跡は天保用水の名残りで、板型の用水路記念碑とともに貴重な文化遺産だという。

その際、池の拡張工事で出た残土で富士塚が築山された。「成宗富士」「泥富士」とも呼ばれたこの富士塚は、高さ12メートルという大きなものだったという。

この富士塚は大正7年(1918年)頃に取り壊されたが、当社境内には大日如来像・惣同行碑・浅間神社・手水鉢などが安置されており、名残をとどめている。

日照りが続くと、人々は雨乞いのため当社に参詣し、弁天池の水を持ち帰る慣習があったという。

大正初期(1912年)頃まで、富士登拝・榛名詣・大山詣などの際には、弁天池で水ごりを行って道中の安全が祈願されたという。

その弁天池も、当社に隣接するマンション敷地内にあったが、現在は埋め立てられている。

御祭神は弁財天としての市杵島姫命。かつては弁天講が存在していたが、現在は隣接する須賀神社役員により引きつがれ、管理されている。

【ご利益】
祈雨・天候、安産、五穀豊穣・商売繁盛、スポーツ・技芸上達
成宗弁財天社 東京都杉並区成田東
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