長井記念館の敷地、もとは高島藩下屋敷の屋敷神、江戸中期本殿
[住所]東京都渋谷区渋谷2-12-15 日本薬学会内
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壽稲荷神社(ことぶきいなりじんじゃ)は、東京都渋谷区渋谷の日本薬学会内にある神社。御朱印の有無は不明。

江戸時代、信州高島藩(諏訪藩)諏訪氏下屋敷の屋敷神として勧請されたと考えられている。

明治13年(1880年)、旧徳島藩臣だった長井琳章がこの屋敷地を購入した。

昭和37年(1962年)、琳章の子で、薬学者・日本薬学会初代会頭である長井長義の子孫が、日本薬学会に土地の一部を寄贈、その際に、当社も日本薬学会の所有となった。

現在は長井記念館の敷地の中に祀られており、ビルの中庭に鎮座するため、一般の目に触れることはなく、非公開の神社である。

毎年二の午の日、日本薬学会の主催で、多くの薬学関係者や近接町会員などを招いて、金王八幡宮の神職による神事が行われている。

当社の本殿は小規模な建築で、屋根の檜皮が傷んでいることや、向拝に後補材が多いことから、建立当所は外部に設置されていたと考えられている。

基本は黒漆だが、随所に精巧な彩色が施されている本格的な神社建築。身舎柱は金泥で、身舎の壁面には牡丹・麒麟・獅子の彩画が見られる。

唐破風の琵琶板には鳳凰が描かれ、身舎内部は金箔が押され、正面板戸の内側には随身が描かれている。蟇股や組物の一部は後世に修理されている。

特に当初の彩色をとどめる身舎柱、台輪、妻虹梁、向拝正面の軒桁と飾金具に、徳川氏の家紋である三つ葉葵が見られることは注目される。

高島藩4代藩主諏訪忠虎(在位:1695年-1731年)の正室が、新藩大名越前松平の一族である松平昌勝の娘であり、その際、本建築が移築された可能性があるという。

本建築は、密度高く装飾され、17世紀の江戸時代中期にさかのぼる建築として希少。「壽稲荷本殿 附石造手水鉢(明和八年<1771年>在銘)」として、区指定有形文化財。

【ご利益】
事業成功、病気平癒、身体壮健、無病息災、健康長寿
壽稲荷神社 東京都渋谷区渋谷
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