奥湯河原に鎮座する本社の分祠、教派神道十三派の神道大成教の本部
[住所]東京都渋谷区神宮前6-5-3
[電話]-
天照山神社分祠(てんしょうざんじんじゃぶんし)は、東京都渋谷区神宮前にある神社。大成教天照山神社分祠とも。御朱印の有無は不明。
神奈川県の奥湯河原に鎮座する天照山神社の分祠である。日本の神道教団で、教派神道十三派の一つ神道大成教の本部がある。
幕末に外国奉行などを務めた平山省斎が、明治維新後は神道の布教活動に転じ、明治12年(1879年)10月、禊教や御嶽信仰系の教団を結集させて、大成教会を組織した。
明治13年(1880年)、御嶽教会が合同し、明治15年(1882年)7月には蓮門教が結集。明治15年(1882年)5月、神道大成派として一派独立、同年11月、神道大成教に改称した。
御嶽教会は明治15年9月に神道御嶽派として一派独立し、同年中に御嶽教に改称した。
明治17年(1884年)、平山は神道大成教初代管長に就任し、明治18年(1885年)まで御嶽教の初代管長も兼任した。
明治23年(1890年)に様々な教団をまとめていた平山が死去し、また大成教所属の蓮門教が明治20年代後半以降『万朝報』などから批判された。
昭和22年(1947年)2月、宗教法人令による宗教法人、昭和27年(1952年)7月に宗教法人法による宗教法人となった。
教派神道系諸教団の中で儒教系とされ、崇拝対象は大成大神。天之御中主神・高皇産霊神、神皇産霊神・天照皇大神・伊邪那岐神・建速素戔男神・大国主神の総称である。
現在、当分祠は普通の民家のようになっており、参拝はできない。一方で、本社である天照山神社は、白雲の滝と去来の滝が近くにあり、ハイキングコースとして知られている。
【ご利益】
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【関連記事】
・東京都の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、東京都に鎮座している神社の一覧
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天照山神社分祠(てんしょうざんじんじゃぶんし)は、東京都渋谷区神宮前にある神社。大成教天照山神社分祠とも。御朱印の有無は不明。
神奈川県の奥湯河原に鎮座する天照山神社の分祠である。日本の神道教団で、教派神道十三派の一つ神道大成教の本部がある。
幕末に外国奉行などを務めた平山省斎が、明治維新後は神道の布教活動に転じ、明治12年(1879年)10月、禊教や御嶽信仰系の教団を結集させて、大成教会を組織した。
明治13年(1880年)、御嶽教会が合同し、明治15年(1882年)7月には蓮門教が結集。明治15年(1882年)5月、神道大成派として一派独立、同年11月、神道大成教に改称した。
御嶽教会は明治15年9月に神道御嶽派として一派独立し、同年中に御嶽教に改称した。
明治17年(1884年)、平山は神道大成教初代管長に就任し、明治18年(1885年)まで御嶽教の初代管長も兼任した。
明治23年(1890年)に様々な教団をまとめていた平山が死去し、また大成教所属の蓮門教が明治20年代後半以降『万朝報』などから批判された。
昭和22年(1947年)2月、宗教法人令による宗教法人、昭和27年(1952年)7月に宗教法人法による宗教法人となった。
教派神道系諸教団の中で儒教系とされ、崇拝対象は大成大神。天之御中主神・高皇産霊神、神皇産霊神・天照皇大神・伊邪那岐神・建速素戔男神・大国主神の総称である。
現在、当分祠は普通の民家のようになっており、参拝はできない。一方で、本社である天照山神社は、白雲の滝と去来の滝が近くにあり、ハイキングコースとして知られている。
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