もとは神明社、天満宮・杉山社を合併、10月例祭で新城の囃子曲持
[住所]神奈川県川崎市中原区新城中町4-14
[電話]044-822-3776 - 溝口神社

新城神社(しんじょうじんじゃ)は、神奈川県川崎市中原区新城中町にある神社。近代社格では村社。現在は溝口神社の兼務社で、御朱印も溝口神社で頂ける。

当社の創建年代は不詳。江戸時代前期の元禄7年(1694年)9月、「領主中川佐平太重奥侯建立」とある棟札があり、それ以前には創立されていたとされる。

江戸時代後期の『新編武蔵風土記稿』新城村の条にも「神明社」と記載され、「村の東にあり」と記され、別当は安養寺だったという。「オシンメイサマ」として崇敬された。

明治30年(1897年)6月、村内の杉山社及び天神社を合祀した。この二社も『新編武蔵風土記稿』に記載され、旧別当はやはり安養寺だった。

『新編武蔵風土記稿』によれば、当社を含む三社は、「例祭は九月二十三日」、「同く次第を以て互に祭る」と関係が深かった。

ただし、どちらかといえば、天神社(天満宮)の方が「村の鎮守」とも記載されている。また、この杉山社は杉山神社72社の一社である。

この合併と同時に、天神社の境内社だった天王社(牛頭天王)を遷座、さらに明治年間(1868年-1912年)に石神社(石凝姥命)も当社境内に遷座した。

天王社、石神社は現在、、稲荷社とともに当社の境内社になっている。これらの合併を通じて、新城明神社と称し、村社に列したという。

現在の御社殿は昭和12年(1937年)4月の改築にかかるもの。この時、現社号に改称された。

昭和63年(1988年)、都市計画道路「新横浜~宮内線」の延長に伴い、神社境内の一部が道路用地として買収され、当社本殿は移転を余儀なくされた。

この時、氏子による寄進4000万円に加え、市よりの補償金を加え、鋭意諸工事を推進、遷宮の大事業を完了したという。

当社の主祭神は天照皇大神。相殿に、五十猛命菅原道真公を祀る。例祭は10月第1日曜日。日中は神社の秋祭りで神輿渡御、山車の巡行があり、その上で屋台囃子が演奏される。

夕方から、神社境内にて各町内会の奉納演芸が披露され、その後、新城の囃子曲持(しんじょうのはやしきょくもち)が演じられる。

これは、力持ち曲芸(曲持)と祭り囃子が一緒になった芸能で。軽快なお囃子の曲にのって米俵や酒樽を自在に操る力士たちの妙技に拍手喝采が送られる。

日本各地にあった伝統芸能であるが、現在までに曲持は市内において当社にしか残っていない。県の民俗芸能50選、市重要習俗技芸に指定されている。

その始まりは明治初年(1868年)、新城の力自慢5人が仲間を組んで力持連中を組織したことによる。

その後、戦争で中断された時期を経て、昭和48年(1973年)に囃子連中と組み、囃子曲持として現在のような形で演じるようになった。

新城の囃子は五人囃子で、鎌倉囃子の流れを受けている。曲持の行われている間この囃子が流れ、口上師(こうじょうし)の解説と進行でテンポよく演技が続けられる。

寿獅子、力持ち、曲持ち、最後に紅白の投げ餅がある。

なお、新城周辺には、かつて領主だった旗本中川氏の一族や、家臣の子孫が今も定住し、歴史の一端を現在にとどめている。

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新城神社 神奈川県川崎市中原区新城中町
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新城神社 神奈川県川崎市中原区新城中町の御朱印