戦国時代創建の青木・杉山明神、10月に鉄の獅子舞、1月に天神祭り
[住所]神奈川県横浜市青葉区鉄町1553
[電話]044-988-0045 - 琴平神社
鐵神社(くろがねじんじゃ、鉄神社)は、神奈川県横浜市青葉区鉄町にある神社。桐蔭学園のバスターミナルに参道、古い狛犬、鳥居がある。現在は琴平神社の兼務社で、御朱印も琴平神社で頂ける。
戦国時代の天文年間(1533年-1555年)、創建されたと伝えられる。『新編武蔵風土記』中鐵村の条には、「青木明神・杉山明神合社」とある。
久良岐郡以外で明神と付く珍しいタイプの、杉山神社72社の一つ。明治初年(1868年)、上・中・下鐵村の3ヶ村が合併して鐵村が発足した際、現社名に改称した。
鐵町総鎮守として篤く崇敬されている。また、昭和4年(1929年)、それまで二殿あった本殿を改築し、相殿とした。この年、神饌幣帛供進社に指定された。
昭和38年(1963年)、桐蔭学園の建設に伴い、参道を拡張した。現在の社殿は、昭和42年(1967年)、改築・建立されたもの。
その後、昭和45年(1970年)4月、学業の神である天満宮(菅原道真)を本殿に合祀。現在の鳥居は、昭和49年(1974年)に建立したものである。
御祭神は、伊弉諾尊・五十猛尊・菅原道真。例祭は10月14日で例大祭。10月第1日曜日とも、10月吉日とも。鉄の獅子舞が奉納される。
県指定の文化財で、上鐵獅子舞とも呼ばれ、安土桃山時代の慶長年間(1596年-1615年)、現在の東京調布方面から伝えられたとされる。
獅子頭は三個で、剣角と巻角を持つ雄獅子二個と宝珠を戴く雌獅子一個である。いずれも黒塗りで羽毛をつけ、胸に太鼓をつける。
他に露払い・蝿追い各一人、花籠・金棒曳・法螺貝各二人、笛・ササラ引き・唄い手各三人の総員20人あまりになる。
舞は、隣接する牛込の獅子舞の獅子舞ほど力強くはないが、花や弓などの道具とじゃれたり、格闘を表す舞振りがあり、変化に富んでいるところが特徴となっている。
1月21日には、合祀した道真にちなむ天神祭りが斎行される。町の年初の祭りとして親しまれ、地元の小学生なども参加、筆供養も行われる。
境内社に、山倉山大六天王尊祠(素盞嗚尊)と瘡守稲荷信仰の石塔を祀る祠がある。
山倉山大六天王尊祠は、明治24年(1891年)、鐵の近郊の勇士が相計り、講を組織、下総国の山倉山、観福寺より大六天王尊を勧請、奉幣した。
当所は、鐵の北方山林児松下2388番地の老松林立する峯のわずかな平地、約1平米の杜に石の各塔を祀った。
明治32年(1899年)7月、講社中世話人11人を刻銘した手水鉢を奉納し、地域の安泰と発展を祈念した。
昭和46年(1971年)5月、嶮山地区宅地造成に伴い、東京急行電鉄の尽力により、当社境内地に移転し、現在地に奉祀された。
また、瘡守稲荷は、明治38年(1905年)、鐵町の臼井太郎吉が、五女ワカが耳を病んでいた3歳の時、稲荷に祈願して、病が平癒したので、報恩のため、塔を建立したもの。
【ご利益】
平穏安寧、健康長寿、家内安全、商売繁盛、学業・受験合格など

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[電話]044-988-0045 - 琴平神社
鐵神社(くろがねじんじゃ、鉄神社)は、神奈川県横浜市青葉区鉄町にある神社。桐蔭学園のバスターミナルに参道、古い狛犬、鳥居がある。現在は琴平神社の兼務社で、御朱印も琴平神社で頂ける。
戦国時代の天文年間(1533年-1555年)、創建されたと伝えられる。『新編武蔵風土記』中鐵村の条には、「青木明神・杉山明神合社」とある。
久良岐郡以外で明神と付く珍しいタイプの、杉山神社72社の一つ。明治初年(1868年)、上・中・下鐵村の3ヶ村が合併して鐵村が発足した際、現社名に改称した。
鐵町総鎮守として篤く崇敬されている。また、昭和4年(1929年)、それまで二殿あった本殿を改築し、相殿とした。この年、神饌幣帛供進社に指定された。
昭和38年(1963年)、桐蔭学園の建設に伴い、参道を拡張した。現在の社殿は、昭和42年(1967年)、改築・建立されたもの。
その後、昭和45年(1970年)4月、学業の神である天満宮(菅原道真)を本殿に合祀。現在の鳥居は、昭和49年(1974年)に建立したものである。
御祭神は、伊弉諾尊・五十猛尊・菅原道真。例祭は10月14日で例大祭。10月第1日曜日とも、10月吉日とも。鉄の獅子舞が奉納される。
県指定の文化財で、上鐵獅子舞とも呼ばれ、安土桃山時代の慶長年間(1596年-1615年)、現在の東京調布方面から伝えられたとされる。
獅子頭は三個で、剣角と巻角を持つ雄獅子二個と宝珠を戴く雌獅子一個である。いずれも黒塗りで羽毛をつけ、胸に太鼓をつける。
他に露払い・蝿追い各一人、花籠・金棒曳・法螺貝各二人、笛・ササラ引き・唄い手各三人の総員20人あまりになる。
舞は、隣接する牛込の獅子舞の獅子舞ほど力強くはないが、花や弓などの道具とじゃれたり、格闘を表す舞振りがあり、変化に富んでいるところが特徴となっている。
1月21日には、合祀した道真にちなむ天神祭りが斎行される。町の年初の祭りとして親しまれ、地元の小学生なども参加、筆供養も行われる。
境内社に、山倉山大六天王尊祠(素盞嗚尊)と瘡守稲荷信仰の石塔を祀る祠がある。
山倉山大六天王尊祠は、明治24年(1891年)、鐵の近郊の勇士が相計り、講を組織、下総国の山倉山、観福寺より大六天王尊を勧請、奉幣した。
当所は、鐵の北方山林児松下2388番地の老松林立する峯のわずかな平地、約1平米の杜に石の各塔を祀った。
明治32年(1899年)7月、講社中世話人11人を刻銘した手水鉢を奉納し、地域の安泰と発展を祈念した。
昭和46年(1971年)5月、嶮山地区宅地造成に伴い、東京急行電鉄の尽力により、当社境内地に移転し、現在地に奉祀された。
また、瘡守稲荷は、明治38年(1905年)、鐵町の臼井太郎吉が、五女ワカが耳を病んでいた3歳の時、稲荷に祈願して、病が平癒したので、報恩のため、塔を建立したもの。
【ご利益】
平穏安寧、健康長寿、家内安全、商売繁盛、学業・受験合格など

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