平安期からの十二天、芦名城の鎮守、源頼朝が安産祈願
[住所]神奈川県横須賀市芦名1-21-26
[電話]046-856-0707
十二所神社(じゅうにしょじんじゃ)は、神奈川県横須賀市芦名にある神社。近代社格では村社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
創建年代は不明。一説には、この神社の裏山から、平安時代末期の布目瓦が出土しており、すでに相当規模の集落をなしていた。
当社の古くからのいわれに、「平安時代には十二天といわれ」とあり、創祀は相当早いことがうかがえる。
現在の大楠小学校門前に城山と言われている台地があり、そこに三浦大介義明の弟三郎為清の館、いわゆる芦名城があったと伝えられ、その鎮守だったという。
古くは三浦十二天、または十二天明神と呼ばれ、現在も拝殿には「十二天神社」の額が掛かっている。
御祭神は、天の神国常立尊から七世代、地の神天照大神から五世代の神々。いわゆる天神七代と地神五代。七天神、五地神の十二神とも呼ばれる。
当社で祀られている神世七代は、国常立尊・国狭槌尊・豊斟渟尊・泥煮尊・沙土煮尊・大戸之道尊・大戸之辺尊・面足尊・惶根尊・伊弉諾尊・伊弉冉尊。
また、地神五代は、天照大神・忍穂耳尊・瓊瓊杵尊・彦火火出見尊・葺不合尊。以上、実際には合計16柱。他に、穂乃須勢理尊・大山祇尊を祀っているという。
平安時代末期の寿永元年(1182年)8月、源頼朝は妻北条政子の安産祈願のため、箱根権現や伊豆山権現など、近国の12社に特使を派遣した。
当社も、その一社に選ばれたことが『吾妻鏡』に記載されている。源平合戦一の谷で勇名をとどろかせた三浦義明の子、佐原十郎義連が頼朝に代わって当社を参詣した。
文治5年(1189年)、奥州合戦において活躍した義連は、陸奥国会津に所領を与えられ、庶流が会津に分かれた。これが蘆名氏を称し、戦国大名となっていく。
安土桃山時代の天正19年(1591年)11月、当社は徳川家康から社領として朱印2石の寄進を受けた。
江戸時代後期の文政2年(1819年)3月13日、会津藩主松平容衆の代理として、郡奉行石沢義則が当社で盛大に祭りを行った記録が残る。
天部十二天を祀る社として崇敬されたが、明治になり、現社号に改称した。例祭は11月12日。湯立神楽があるという。
境内社に、大山祗神、神輿・稲荷神社・若宮神社・八雲神社の合社などが祀られている。境内入口に文政元年(1818年)造の狛犬が安置されている。
また、境内には、御神木のイチョウや、弘法大師が焚いた護摩の灰から作ったと伝えられる「帯解(おびとけ)子安地蔵」がある。
帯解の名が示す通り、腹帯が解け、子を授かる、つまり安産のご利益があるとされる。
なお、当社は、葉山町上山口の杉山神社などを兼務している。
【ご利益】
平穏安寧、地域安全、家内安全、安産

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[電話]046-856-0707
十二所神社(じゅうにしょじんじゃ)は、神奈川県横須賀市芦名にある神社。近代社格では村社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
創建年代は不明。一説には、この神社の裏山から、平安時代末期の布目瓦が出土しており、すでに相当規模の集落をなしていた。
当社の古くからのいわれに、「平安時代には十二天といわれ」とあり、創祀は相当早いことがうかがえる。
現在の大楠小学校門前に城山と言われている台地があり、そこに三浦大介義明の弟三郎為清の館、いわゆる芦名城があったと伝えられ、その鎮守だったという。
古くは三浦十二天、または十二天明神と呼ばれ、現在も拝殿には「十二天神社」の額が掛かっている。
御祭神は、天の神国常立尊から七世代、地の神天照大神から五世代の神々。いわゆる天神七代と地神五代。七天神、五地神の十二神とも呼ばれる。
当社で祀られている神世七代は、国常立尊・国狭槌尊・豊斟渟尊・泥煮尊・沙土煮尊・大戸之道尊・大戸之辺尊・面足尊・惶根尊・伊弉諾尊・伊弉冉尊。
また、地神五代は、天照大神・忍穂耳尊・瓊瓊杵尊・彦火火出見尊・葺不合尊。以上、実際には合計16柱。他に、穂乃須勢理尊・大山祇尊を祀っているという。
平安時代末期の寿永元年(1182年)8月、源頼朝は妻北条政子の安産祈願のため、箱根権現や伊豆山権現など、近国の12社に特使を派遣した。
当社も、その一社に選ばれたことが『吾妻鏡』に記載されている。源平合戦一の谷で勇名をとどろかせた三浦義明の子、佐原十郎義連が頼朝に代わって当社を参詣した。
文治5年(1189年)、奥州合戦において活躍した義連は、陸奥国会津に所領を与えられ、庶流が会津に分かれた。これが蘆名氏を称し、戦国大名となっていく。
安土桃山時代の天正19年(1591年)11月、当社は徳川家康から社領として朱印2石の寄進を受けた。
江戸時代後期の文政2年(1819年)3月13日、会津藩主松平容衆の代理として、郡奉行石沢義則が当社で盛大に祭りを行った記録が残る。
天部十二天を祀る社として崇敬されたが、明治になり、現社号に改称した。例祭は11月12日。湯立神楽があるという。
境内社に、大山祗神、神輿・稲荷神社・若宮神社・八雲神社の合社などが祀られている。境内入口に文政元年(1818年)造の狛犬が安置されている。
また、境内には、御神木のイチョウや、弘法大師が焚いた護摩の灰から作ったと伝えられる「帯解(おびとけ)子安地蔵」がある。
帯解の名が示す通り、腹帯が解け、子を授かる、つまり安産のご利益があるとされる。
なお、当社は、葉山町上山口の杉山神社などを兼務している。
【ご利益】
平穏安寧、地域安全、家内安全、安産

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