日本武尊が使用した六角の箸、六角橋総鎮守、9月例祭で渡御
[住所]神奈川県横浜市神奈川区六角橋2-31-23
[電話]045-441-2768 - 熊野神社
杉山大神(すぎやまじんじゃ)は、神奈川県横浜市神奈川区六角橋にある神社。近代社格では村社。六角橋杉山大神とも。現在は熊野神社の兼務社である。御朱印の有無は不明。
口碑によれば、日本武尊が東夷征討の際、この地にあった大伴久応の庵に宿泊。六角の箸で御膳を食した。
日本武尊はその箸を久応に下賜。そこで久応は、箸の一本に天照大神、一本に日本武尊と記し、崇めたという。
後に宝秀寺開山清誉は日本武尊を杉山大明神として祀ったという。村名も初めは六角箸村としたが、畏れ多いとして六角橋に改めたという。
『新編武蔵風土記稿』六角橋村の条にも「杉山社」とあり、「村の中央小高き所にあり、社二間に一間半南向、前に鳥居を立」とある。別当は能満寺。杉山神社72社の一つ。
御祭神は、大物主命・日本武尊・天照皇大神。明治6年(1873年)、村社に列し、昭和5年(1930年)9月12日には神饌幣帛料供進社に指定された。
昭和20年(1945年)、戦災により焼失したが、氏子崇敬者の奉賛により、逐次再建が進み、昭和50年(1975年)には舞殿、社務所、石段なども整備された。
社号票に「六角橋総鎮守」とあり、現在に至るまで、六角橋全町の鎮守として崇敬されている。例祭は9月第2土・日曜日で、例大祭。
日曜日は氏子らによって神輿が担がれ、それぞれ町会のはんてんや股引などの衣装に身を包み、祐天地蔵から横浜上麻生線を渡って六角橋商店街まで練り歩く。
この宮神輿は昭和8年(1933年)に造られたもので、昭和20年の戦災でも無傷で生き残り、平成25年(2013年)9月に二度目の大修繕を終えた。
「杉山大神と六角橋緑の小径」として、「わが町 かながわ 50選」に選定されている。境内には、樹齢200年を超える市指定名木・古木のケヤキがある。
境内社がある。『新編武蔵風土記稿』にも末社として、「稲荷社」が記載されている。
【ご利益】
地域安全、家内安全、開運招福、旅行・交通安全

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[電話]045-441-2768 - 熊野神社
杉山大神(すぎやまじんじゃ)は、神奈川県横浜市神奈川区六角橋にある神社。近代社格では村社。六角橋杉山大神とも。現在は熊野神社の兼務社である。御朱印の有無は不明。
口碑によれば、日本武尊が東夷征討の際、この地にあった大伴久応の庵に宿泊。六角の箸で御膳を食した。
日本武尊はその箸を久応に下賜。そこで久応は、箸の一本に天照大神、一本に日本武尊と記し、崇めたという。
後に宝秀寺開山清誉は日本武尊を杉山大明神として祀ったという。村名も初めは六角箸村としたが、畏れ多いとして六角橋に改めたという。
『新編武蔵風土記稿』六角橋村の条にも「杉山社」とあり、「村の中央小高き所にあり、社二間に一間半南向、前に鳥居を立」とある。別当は能満寺。杉山神社72社の一つ。
御祭神は、大物主命・日本武尊・天照皇大神。明治6年(1873年)、村社に列し、昭和5年(1930年)9月12日には神饌幣帛料供進社に指定された。
昭和20年(1945年)、戦災により焼失したが、氏子崇敬者の奉賛により、逐次再建が進み、昭和50年(1975年)には舞殿、社務所、石段なども整備された。
社号票に「六角橋総鎮守」とあり、現在に至るまで、六角橋全町の鎮守として崇敬されている。例祭は9月第2土・日曜日で、例大祭。
日曜日は氏子らによって神輿が担がれ、それぞれ町会のはんてんや股引などの衣装に身を包み、祐天地蔵から横浜上麻生線を渡って六角橋商店街まで練り歩く。
この宮神輿は昭和8年(1933年)に造られたもので、昭和20年の戦災でも無傷で生き残り、平成25年(2013年)9月に二度目の大修繕を終えた。
「杉山大神と六角橋緑の小径」として、「わが町 かながわ 50選」に選定されている。境内には、樹齢200年を超える市指定名木・古木のケヤキがある。
境内社がある。『新編武蔵風土記稿』にも末社として、「稲荷社」が記載されている。
【ご利益】
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