平安期に移住、大和大神神社を勧請、「椙」を冠した唯一の杉山社
椙山神社 東京都町田市三輪町1618
[住所]東京都町田市三輪町1618
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椙山神社(すぎやまじんじゃ)は、東京都町田市三輪町にある神社。三輪椙山神社とも。杉山神社の一つとされる。御朱印の有無は不明。

平安時代の元慶元年(877年)頃、大和国城上郡三輪の里の大神神社と三輪山によく似た地だったことから、ニモモ(三諸山)のこの地に勧請したとの伝承がある。

大神神社の社史にも、武蔵国の三輪神社、上下二社に、御祭神を贈られたと明記されているという。つまり、上三輪の熊野神社と、下三輪の当社ということになる。

また、古文書によると、同じ時期に、朝廷が斉藤氏、荻野氏を遣わして当地に移住させ、三輪の名称がつけられたと記されているという。

室町時代の永和年間(1375年-1378年)または永享5年(1433年)に著したと伝えられる『安居院神道集』には、「武蔵六所宮の六宮は椙山明神と申す、本地仏は大聖不動明王是也」とある。

一般に六之宮の杉山神社は、横浜市緑区西八朔町に鎮座する別の神社ではあるが、この地域に数多くある杉山社の中で、「椙山」と冠するのは当社のみである。

神鏡の御神体には、「武州多摩郡三輪村、寛文四甲辰歳正月大吉日、別当高蔵寺冶工西村和泉守作」と銘のある不動明王の掛仏がある。寛文4年は江戸時代前期の1664年。

内陣の天上板には舟橋菅原有策の筆による神竜の水墨画がある。

『新編武蔵風土記稿』三輪村の条には「杉山社」とあり、別当は高蔵寺で、先の寛文4年が勧請の年ではないか、としている。杉山神社72社の一つ。

『新編武蔵風土記稿』には、当社の末社として、「稲荷社」「山王社」が記載されている。現在、当社の境内社に稲荷社がある。

総氏子中により奉納された、江戸時代後期の文政2年(1819年)9月吉祥日の銘がある鰐口と、嘉永4年(1851年)建立の石造大鳥居の奉額に「椙山大明神」とある。

明治末年(1912年)、下三輪大戸にあった大戸明神社を合祀した。御祭神は日本武尊大物主命意富斗能地神。例祭は9月28日である。

昭和20年(1945年)頃までは広い境内に樹齢500年以上を経た巨木が鬱蒼としており、杉山あるいは椙山の社、鎮守の森そのもののたたずまいだったという。

現在の社殿は昭和47年(1972年)10月28日に新築されたものである。境内は1510坪あまり。

昭和54年(1979年)、当社の前の三輪小学校から弥生時代の遺跡が検出された。「椙山神社北遺跡」と命名されている。その後の調査で、縄文期のものも出土しているという。

なお、当地はもとの都筑郡三輪村で、その南方は旧奈良村と接している。いずれも大和奈良つながり。旧奈良村、現在の横浜市青葉区奈良町には、奈良杉山社を合祀した住吉神社がある。

【ご利益】
家内安全、地域安全、産業振興、旅行・交通安全
椙山神社 東京都町田市三輪町
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