江戸前期創建、主祭神と相殿2柱、例祭は有名な「町田の花火」
[住所]東京都町田市成瀬4-13-16
[電話]042-724-4393

杉山神社(すぎやまじんじゃ)は、東京都町田市成瀬にある神社。成瀬杉山神社とも。毎月第1・第3日曜日のみ、参拝すれば、書き置きの御朱印を頂ける。

杉山神社のある地域は武蔵国南部、鶴見川流域の一部に限られ、江戸時代後期には72社が集中していた。当社も杉山神社72社の一つ。

昭和53年(1978年)調査(戸倉英太郎『杉山神社』)によると、鶴見川流域に49社存在するという。

田中の明神という。江戸時代前期の寛文8年(1668年)11月、当時の代官福井清兵衛が200疋、地頭の井戸忠兵衛勝吉が金3分を寄進して社殿を創建した。

ただし、これもあくまでも社殿が長らく荒廃していたことに伴う再建であり、創立自体は、江戸時代以前にさかのぼるともされている。

社宝の棟札によれば、元禄12年(1699年)11月21日、享保元年(1716年)11月、安永3年(1774年)9月、寛政2年(1790年)12月、享和2年(1802年)9月の5回、再建された。

本殿は一社相殿造りで、主祭神の日本武尊を中央に、右に天照皇大神、左に熊野大神を合わせ奉斎している。真言密教により黒と丹にて彩色がしてある。

『新編武蔵風土記稿』成瀬村の条にも「杉山社」とあり、村の鎮守で、「神體は唐冠を戴き、笏を持て立る木像なり、長七寸ばかり」としている。別当は圖師村の修験大蔵院。

『新編武蔵風土記稿』では、当社の主祭神として、「按に杉山神社は、都筑郡にいます式内の神にして、祭神は玉大猛命なり、然るに當社の祭神は高座雲尊なり」とする。

玉大猛命は五十猛命のことだろう。高座雲尊は高御産巣日神のことだろうか。当社自身は、日本武尊説を紹介しつつ、主祭神を五十猛命としている。

また、『新編武蔵風土記稿』にも、「相殿二座左は神明、右は熊野」とあり、現在のスタイルが江戸時代後期には確立していたことになる。

参道正面の両部鳥居は、江戸時代後期の天保14年(1843年)9月20日の造立。昭和31年(1956年)4月15日に社殿が造営されたが、現在の社殿は昭和57年(1982年)のもの。

昭和59年(1984年)、都市計画道路整備と都営住宅建設のため、現在地に遷座した。境内坪数は260坪あまり。

平成4年(1992年)、杉山神社の本社とされる、和歌山県の伊太祁曽神社から杉苗を譲り受け、御神木として階段横に植樹された。

当社の例祭は、年ごとに夏と秋に行われる。駐車場に屋台が出て、境内では奉納演芸が行われ、多くの人で賑わう。

さらに、スターマイン(速射連発花火)を含む、本格的な打ち上げ花火が行われるのが通例で、有名な町田の花火の一つとして、知られている。

境内末社では、江戸時代中期の安永3年(1774年)6月15日の創立で、悪病除の神である八坂神社を奉斎し、7月14日が例祭日である。

この八坂神社は、江戸時代後期の弘化3年(1846年)には原の牛頭天王を、幕末の文久元年(1861年)には谷戸上合の牛頭天王を合祀した。もとは吹上の横浜市境に鎮座していた。

【ご利益】
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杉山神社 東京都町田市成瀬
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杉山神社 東京都町田市成瀬の御朱印