江戸初期の勧請、明治復興、トンカラリンと奇妙な狛犬
[住所]熊本県玉名郡和水町瀬川
[電話]-
菅原神社(すがわらじんじゃ)は、熊本県玉名郡和水町瀬川にある神社。鴬原神社(うぐいすばるじんじゃ)とも。トンカラリンの最上部の終点すぐ上に鎮座する神社である。御朱印の有無は不明。
江戸時代初期の元和元年(1615年)、近在の中原の住民で、熊本藩主加藤忠広の家臣が自分の家の側に大宰府から勧請、奉斎していたという。
しかし、加藤氏が大名を廃されると、この家臣も行方知れずになり、当社は一旦そのまま廃れたようだ。
明治20年(1887年)になり、中原・鶯原・北原の各集落が協力して、現在地に再建、社殿や社地を整備したという。御祭神は菅原道真。
その際、タンタン落としの一段上にある「御神水の池」から御神火が飛び出し、段々と上に上がって、現在地で消えたことが、現在地への遷座の決め手になったという。
このタンタン落としが、いわゆるトンカラリン。トンカラリンは、隧道(トンネル)型遺構で、全長464.6メートル、自然の地隙や人工の石組暗渠で構成されている。
その名称は、穴に石を投げ込むと「とんからりん」という音が聞こえることからつけられたという説と、朝鮮語由来という説がある。
石積みが布石積みという日本では珍しい工法であり、これはエジプトのピラミッドと同じものだという。年代・製作者・目的いずれも不明な遺構。
トンカラリン周辺の松坂古墳から1体、前原長溝遺跡から3体の変形頭蓋骨が発見されている。このトンカラリンは古代祭祀遺構ではないかとの説もある。
当社の鳥居越しに、遠くカムロ山が見える。標高219メートル。いわゆる御神体山で、山頂の肩に突き出すように、磐座であろう、カムロ岩が立つ。
このカムロは、童女が髪をおかっぱに切って揃えた様子を示すという。高級遊女の世話役として使われた童女そのものを指すとも。
また、カムロ岩は、船繋ぎ石とも呼ばれるという。同名の石は、近くにある江田船山古墳の近隣や、古代神官の日置氏の墓地、当社境内にもある。
当社の境内には明治2年(1869年)に建立された、左右に安置され、阿吽を構成しているものの、極めて特徴的な狛犬がある。
右手の狛犬は、全体重をかけ押さえつけた人間の頭を囓っている。それをジッと見つめるように、前方を注視している左手の人間と狛犬。
左手の狛犬は、それぞれ絡み合っているのではなく、独立している。足下にはのんびりと二匹の子狛もいる。
また、明治22年(1889年)4月と明治21年(1888年)11月に制作された左右に安置された燈籠の頂部には、赤ん坊に授乳している女性と狛犬がある。これも他には例のないデザインか。
境内には他に、牛の石像や、梅の木が植えられている。なお、当社は進藤彦興『詩でたどる日本神社百選』に掲載されている。
【ご利益】
学業・受験合格、病気平癒

【関連記事】
・詩でたどる日本神社百選 - 進藤彦興『詩でたどる日本神社百選』に掲載された神社
・熊本県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、熊本県に鎮座している神社の一覧
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菅原神社(すがわらじんじゃ)は、熊本県玉名郡和水町瀬川にある神社。鴬原神社(うぐいすばるじんじゃ)とも。トンカラリンの最上部の終点すぐ上に鎮座する神社である。御朱印の有無は不明。
江戸時代初期の元和元年(1615年)、近在の中原の住民で、熊本藩主加藤忠広の家臣が自分の家の側に大宰府から勧請、奉斎していたという。
しかし、加藤氏が大名を廃されると、この家臣も行方知れずになり、当社は一旦そのまま廃れたようだ。
明治20年(1887年)になり、中原・鶯原・北原の各集落が協力して、現在地に再建、社殿や社地を整備したという。御祭神は菅原道真。
その際、タンタン落としの一段上にある「御神水の池」から御神火が飛び出し、段々と上に上がって、現在地で消えたことが、現在地への遷座の決め手になったという。
このタンタン落としが、いわゆるトンカラリン。トンカラリンは、隧道(トンネル)型遺構で、全長464.6メートル、自然の地隙や人工の石組暗渠で構成されている。
その名称は、穴に石を投げ込むと「とんからりん」という音が聞こえることからつけられたという説と、朝鮮語由来という説がある。
石積みが布石積みという日本では珍しい工法であり、これはエジプトのピラミッドと同じものだという。年代・製作者・目的いずれも不明な遺構。
トンカラリン周辺の松坂古墳から1体、前原長溝遺跡から3体の変形頭蓋骨が発見されている。このトンカラリンは古代祭祀遺構ではないかとの説もある。
当社の鳥居越しに、遠くカムロ山が見える。標高219メートル。いわゆる御神体山で、山頂の肩に突き出すように、磐座であろう、カムロ岩が立つ。
このカムロは、童女が髪をおかっぱに切って揃えた様子を示すという。高級遊女の世話役として使われた童女そのものを指すとも。
また、カムロ岩は、船繋ぎ石とも呼ばれるという。同名の石は、近くにある江田船山古墳の近隣や、古代神官の日置氏の墓地、当社境内にもある。
当社の境内には明治2年(1869年)に建立された、左右に安置され、阿吽を構成しているものの、極めて特徴的な狛犬がある。
右手の狛犬は、全体重をかけ押さえつけた人間の頭を囓っている。それをジッと見つめるように、前方を注視している左手の人間と狛犬。
左手の狛犬は、それぞれ絡み合っているのではなく、独立している。足下にはのんびりと二匹の子狛もいる。
また、明治22年(1889年)4月と明治21年(1888年)11月に制作された左右に安置された燈籠の頂部には、赤ん坊に授乳している女性と狛犬がある。これも他には例のないデザインか。
境内には他に、牛の石像や、梅の木が植えられている。なお、当社は進藤彦興『詩でたどる日本神社百選』に掲載されている。
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