平安期に大和を勧請、三岐の竹、9月に伝統の花火祭り
[住所]茨城県常総市大塚戸町875
[電話]0297-27-0659

一言主神社(ひとことぬしじんじゃ)は、茨城県常総市大塚戸町にある神社。近代社格では村社。三竹山一言主神社、一言明神(ひとことみょうじん)とも。参拝すれば、御朱印を頂ける。

平安時代の大同4年(809年)11月13日に創建された。大和国葛上郡の葛城一言主神社を勧請したという。

創建の地は現社地の西方で、怪光とともに雪中からタケノコが生え、三岐の竹になったという伝承がある。境内には現在、3本に枝分かれした三岐(みつまた)の竹がある。

御祭神は一言主大神。別名は事代主神で、俗に恵美須神ともいう。福の神、商売・災禍・農作・縁結び・平和の神だという。

室町時代の長禄3年(1459年)4月、荒廃していた社殿を、平将門の子孫で下総国の守谷城城主であった相馬弾正胤広が再建した。

戦国時代の天文19年(1550年)、兵乱で拝殿が損壊。永禄年間(1558年-1570年)には半焼したと伝わる。

江戸時代前期の万治2年(1659年)、葛城流からくり綱火、いわゆる大塚戸の綱火が始まった。元禄13年(1700年)正月13日、本殿を大規模修理した。

この本殿が現存する。一間社流造。長禄3年建立の本殿を手本に再建されたもの。現在は市の文化財に指定されている。

この本殿には、身舎外壁の左右に「鳳凰と牡丹」、後側に「鷹と牡丹」の彫物、脇障子には「三岐の竹」の彫物がはめられている。

幕末の慶応3年(1867年)、拝殿が一般からの寄進により再建。明治維新の後、神仏分離令により、別当だった善光寺が廃寺、当時の僧が初代神官となった。

村社に列し、明治42年(1909年)3月、大塚戸に祀られている13社を合併、現在は境内社の合社として祀られている。

・三峯神社(日本武尊
・愛宕神社(軻遇突智命
・八幡神社(誉田別尊
・三王神社(大山祇命
・妙見神社(月読命
・天神社(菅原道真
・道祖神社(猿田彦命
・別雷神社(別雷命)
・八坂神社(速須佐之男命
・大日孁神社(大日咋孁貴命
・白髪神社(猿田彦命)
・浅間神社(木花咲耶姫命
・厳島神社(市杵島姫命

他の境内社に、大黒社(大国主命)、香取社・稲荷社合社(経津主命保食命)、縁結社がある。

往時、鹿島郡や行方郡では「徴兵検査で不合格になった」「日露戦争の召集令状が届かなかった」「医師に見放された患者が全快した」など世評が高かったという。

昭和45年(1970年)、本殿の屋根を茅葺から銅板葺(檜皮葺風)に更新。同時に、拝殿が増改築された。昭和48年(1973年)に参集殿が、昭和53年(1978年)に結婚式場が新築された。

境内面積は約2800坪(約0.92ヘクタール)で、昭和15年(1940年)の1962坪(約0.65ヘクタール)から大きく拡張した。拡張分のほとんどは駐車場に充てられた。

県道を挟んで、樹齢は500年のムクノキがある。「大塚戸のムクノキ」として、市の天然記念物に指定されている。

例祭は9月13日で、例大祭。通称は花火祭り。操り人形と仕掛け花火を組み合わせた民俗芸能・大塚戸の綱火(葛城流からくり綱火)が奉納される。

綱火はもとは旧暦8月13日の前後3日間開催されたが、大正4年(1915年)から新暦9月13日に変更された。県の無形民俗文化財に指定されている。

4月13日が春季祭で植木祭。10月下旬から11月下旬には菊花祭があり、400鉢ほどの菊が一言主神社菊花会によって展示される。

正月3が日には例年15万人の参拝客が訪れる、県内西地域有数の初詣スポットとして知られる。

毎月第3日曜日には骨董市が開かれる。栃木県真岡市の大前神社で骨董市を開催する組織が主体。骨董市の規模としては県内最大級とされる。

なお、当社は進藤彦興『詩でたどる日本神社百選』に掲載されている。

【ご利益】
商売繁盛、事業成功、病気平癒、厄災除けなど(公式HP
一言主神社 茨城県常総市大塚戸町
【関連記事】
詩でたどる日本神社百選 - 進藤彦興『詩でたどる日本神社百選』に掲載された神社
茨城県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、茨城県に鎮座している神社の一覧
一言主神社 茨城県常総市大塚戸町の御朱印