鎌倉初期創建、八幡山に鎮座する新横浜を一望できる鎮守
八幡大神 神奈川県横浜市港北区篠原町2735
[住所]神奈川県横浜市港北区篠原町2735
[電話]045-421-0859

八幡大神(はちまんおおかみ)は、神奈川県横浜市港北区篠原町にある神社。近代社格では村社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

篠原八幡大神とも、篠原八幡神社(しのはらはちまんじんじゃ)、鶴崎八幡(つるさきはちまん)、若宮八幡などとも呼ばれた。

鎌倉時代初期の建久3年(1192年)9月、武蔵国橘樹郡鈴木村の鎮守として、同村字会下谷に鎌倉の鶴岡八幡宮を勧請、奉斎したのが当社の起源。

当時から観音寺住職を別当とし、鶴崎八幡と奉称した。

江戸時代前期の寛永8年(1631年)、同村字表谷、つまり現在地に奉還し、その後、寛文7年(1667年)に代官伊奈半十郎が社殿を再建して若宮八幡と奉称した。

江戸時代に、鈴木村は篠原村と改称された。『新編武蔵風土記稿』篠原村の条には「八幡社」とある。また、「若宮八幡宮」も記載されている。

このうち、「若宮八幡宮」が当社のことで、「八幡社」は別当が東林寺であり、村内若宮八幡社の旧地だったという。つまり、字会下谷の地。

江戸時代後期の天保6年(1835年)、拝殿・幣殿・覆殿といった社殿が再建され、これらが現存している。狛犬や灯籠など、この頃に奉納されたのも現存している。

明治6年(1873年)、篠原村の鎮守として村社に列した。明治22年(1889年)、町村制施行に伴い、篠原村を含む各損が合併して大綱村が成立、当地は大綱村の篠原となった。

御祭神は応神天皇(誉田別命)。若宮八幡と呼ばれた当社も八幡大神と称えられることになった。

大正12年(1923年)、関東大震災により鳥居が倒壊。倒壊した旧鳥居は今も境内に安置されている。昭和2年(1927年)、現存する石鳥居が再建された。

昭和15年(1940年)、神饌幣帛料供進社に指定された。戦時中は戦火を免れ、社殿など多くが現存している。

その後も境内整備が進められ、平成3年(1991年)、創建八百年記念祭が行われ、現在に至っている。境内には創建八百年祭記念碑がある。

御神木は境内右側の奥にある樫の大木2本。向かって左が雄で右が雌の樫の木。また、社頭左手にはケヤキの古い大木がある。

新横浜は商業的にも発達した北部と違い、今も南部に古いのどかな光景が残っており、当社もそうした篠原町の一角に鎮座している。

当社までは坂が続き、当社は八幡山と呼ばれる丘の頂上に位置する。北側を見ると新横浜を一望できる。鳥居からの御来光を見ることができる。

現在は、新横浜の鎮守として崇敬されている。例祭は8月最後の土・日曜日で例大祭。夏祭りとして、地元に親しまれている。

進藤彦興『詩でたどる日本神社百選』に選出され、境内には「詩でつづる日本神社百選」石碑が安置されている。

平成28年(2016年)12月9日、当社で新垣結衣・星野源が主演したドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』、通称『逃げ恥』の撮影が行われたという情報がネット上を賑わした。

なお、当社は横浜市港北区岸根町の岸根杉山神社を兼務している。

【ご利益】
厄災除け、家内安全、交通安全、商売繁盛、安産など(公式HP
八幡大神 神奈川県横浜市港北区篠原町
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